すべてのジャッジは不確定

生きているだけで、それだけで素晴らしいという感覚が体感できてきました。

これまでは、どうも設定したゴール達成に対しての進捗が悪いとか、

現状が満たされていない感覚が常にまとわりついていたのです。


自分としても「くー!キツイ!」と言ってしまうような状態や、

他人から見てもうまくいってなさそうに見える状況であっても、

自分が設定したゴールにとって必要な物理体験ですので価値があります。


いかなる状況になったとしても、

ただその結果であるだけですし、結局なんとかなってるし、

あぁ幸せだなぁと感じることも多々あります。


こうなってしまったら、もう終わりなんじゃないか?

時々、そんな風にブワっと不安になることもありますが、

結局そんな風になったとしても、終わらずに何とかなることの繰り返し。


「あなたがイメージしている最悪のストーリーなど、その程度のものですよ」

というのを、臨場感高く物理世界で体験して思い知る最高のストーリーでした。

それを体感する前は、今まさに起こっているような恐ろしさだったのに!


イメージしているストーリーなど、現状の物差しで描いた不確定なものでしかない。

最悪(と思っている)事態で、衰弱しながらその場を対応している自分は、

ただ感情が働いてるだけで、もうおしまいなんてことではありません。


そこらへんに有意識になってくると、事ある毎に「あ、今感情働いてるな」と気づけます。

気づいて手放す言霊により、少しづつあんなに反応的になってたのに何とも思わなくなります。

正しいとか間違ってるとか、感情のバロメーターがグラングランする率が激減します。


それでも、こうしたいと切に思ってるはずなのに、なんかそうならない。

こうなる!と強く決意してるはずなのに、そうならない流れになっている。。。

なぜなのか?


これは、絶賛無意識が働いているところですので、意識的に気づきにくいのです。

自分の人生の中で、インパクトの強い様々な体験があって、

臨場感高く刻まれた「これは間違ってるから私はそうしない」が無意識まで浸透していて、

「これはやりたいことだ」と思ってるはずなのに、やらない結果に運ぶのです。


あれは良くない!オレは見てきて本当に強く感じたんだ!だから間違いない!という信念が、

なんとゴールへの道にドシンと立ちはだかって、無意識で停滞させていたなんて!

ジャッジというものが、いかに自然の流れに反しているかが身に沁みます。


正義という情報も、悪という情報も、実際に見てきて本当に強く感じたとしても、

なんと不確定であり、確定として捉えることは、無限の可能性を狭める要因だったなんて!

どんな抽象度の高いゴールも、「仮」であることがわかります。


このblogから、凝り固まった自我について投稿します。

読むだけで、道が開けますので読んでみてください。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。


↓ 過去ブログ 

【過去ブログ記事一覧】

コメントを残す