考えすぎずに今を生きろ!

私自身の渾身の表現手段の一つとして「音楽(というかバンドでライブする)」がある。
自分の内側から湧き出る渾身の表現を思う存分できるというのは、どんなジャンルであれ熱い!
そのエモーショナルな臨場感が、見た人の情動を震わせることもあるでしょう。
「私は今、ライブで自分の内側から溢れる渾身の表現をしている!」という物理体験をするまでに、
貪るように音楽理論の勉強に没頭したし、様々なジャンルの音楽を脇目も振らず聴き込みました。
そのうえでライブを繰り返し、学んだものをぶっ壊し自分にしか表現できないものが完成しました。
そう考えると、私のもう一つの表現手段であるコーチングは、
俯瞰的に観ると、「表現」というより「分離的自己主張」になっているということに気づき、
再度、貪るように学ぶことに重要性を感じて、ここ最近は実行に移しておりました。
そうして積極的に学ぶことに時間を割いているうちに「あれっ?」と感じたのは、
「間違いなく理解しなければという思いで、ごちゃごちゃ余計なことを考えてる」ということ。
どんな風に情報発信したらいいか、よくわかんなくなっちゃっておりました。
学ぶこと自体にエネルギーが寄り過ぎてて、「自分ならではの発信ってなんだっけ?」と、
「しっかり理解しているところを見せなければ!」とか「理解してると思われたい」など、
石橋を叩いて渡る労働者マインドみたいに、「100%になったらやろう」状態でした。
「こうなってからやろう」というマインドでは、自分ならではの表現を発するに至りませんので、
表現者として、いやプロコーチとして、クライアントに「現状の外」という臨場感は渡せません。
現状がどんな状態でも、無条件で表現し始めるのです。
インプットばかりで、なにも発信していなければ「ゼロ」であるように見えますが、
私は(あなたは)確かに存在しているし、沸々湧き上がる情熱は「ある」んです。
あれこれ考えすぎず、無条件で「今」を表現し始めることで、エネルギーバランスが取れていきます。
「ゼロ」って「無い」という「存在の否定」のことではないのです。
「学び」と「実践」のエネルギーバランスが均等に取れていれば、
偏りは「ゼロ」ですが、そこには確かにエネルギーがあります。
たとえ「ゼロ」に見えるし思えたとしても、誰しも自分の渾身の表現が「ある」のです。
「まだ、見つかってない」と立ち止まっても、あなたの内側には「熱い情熱」が「ある」のだから、
「これか?」と感じたら、三日坊主になるかもとか余計なこと考えず「やる=今を生きる」です!
思い立ったらやる→現状の外だから、やりながら見えてくるのであって、学ぶだけでは固まるだけ!
「表現」するにあたって、途中でめっちゃカッコ悪い事態になっても、むしろそれでいいのです。
「表現」するにあたって、途中で相対的な尺度で見られドン引きされても、むしろそれでいいのです。
現状で考えうる、今のままでは達成できないゴールを設定して、無条件で「今」を生きるのです。
ひたすらカッコイイ人を見たら、「良かったですね」と心から「おめでとう」を言えばいいし、
比較したり、「なんでオレだけ」と感じていると、いつまでも不足の想念という情報から降りた、
フラストレーションが溜まり続ける物理世界が映し出されます。
まずは、心から「採用したい」という学びをwant toの限り取り入れるわけですが、
取り入れつつ、自分の型にして「私の内側から湧き出る渾身の表現」に変容していくのです。
「背伸びした自己主張」から「自分にしかできない表現」に統合していきます。
「このメソッドがすごい!」というのが万人に効果があるように見えるためには、
ごく一部の人だけでなく、皆が自分の型に変容することが重要なのです。
(自分の型になることで、基のメソッド自体から離れることになりますが)
自分ならではの表現を存分に発揮できる臨場感体験は、必ずできます。
「渾身の表現」は「アート」であり「豊かさから多く生まれる」ということです。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
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