スタンドバイ認知的不協和④

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3つの通せん坊と、どのように向き合うのか?

【認知的不協和3部作 その解答編】

【その①はこちらをクリック】

【その②はこちらをクリック】

【その③はこちらをクリック】

今回は、①~③を読んでからつづきをどうぞ。


「無い」とか、「あるのかな?」思ってると、

「無い」を、「自分が重要だと認識すること」のランキング上位に君臨させることになりますので、

目の前の現実を、「無いことが正しい!」ということを証明すべく都合よく捉えます。


「あるのかな?」と思ってると、あったらそれはそれでラッキーだし、

無かったら「そうだよね、うんうん」と慰められるので、「無いはずだけど」が主導しています。

ですから、結局「無い」というゲシュタルトの中で生きる選択をします。


今、この瞬間「ある」という状態ではない!としか思えなくても、マジで「ある」んです。

はい!では今から「ある」ということが腑に落ちた状態で生きてください!

「わっかりましたー!」・・・とはならないですよね。


では、「ある」ということが腑に落ちるために、アファメーションをずーっと継続してください。

「止められても、どうしてもやりたい!」なら、とんでもない回数を継続してください。

「こんだけ継続してるのに腑に落ちない」とか、自分の物差しで顕在意識で捉えず継続してください。

アファメーションをなんとなく唱えるのを辞めてるでしょうから、今から唱えましょう。


そんでもって、「ある」状態になるための物理世界での行動をしてください。

行動して、思い通りにいかなかったら内省したり改善して、それでも思い通りにいかなかったら、

コーチングを受けて、内部表現を書き換えて見てください。


内省は不要ではありませんが、顕在意識が主軸ですので、信念に基づくストッパーによって、

次の体験に進まず、現状でグルグル滞留し続ける場合が多くあります。

体験を味わって、それを思考で自分なりに定義づけをすることで味わい切らないのです。


ただ、ただ、身に沁みて味わう。

ただ、ただ、身体反応に意識を向ける。

「あれがこうだから、こういうことだ」とか、思考を挟まないことにトライし続ける。


結局「ある」ことが、腑に落ちる体験を身に沁みて味わうことになりますし、

ほぼ全員が、学んだだけではなく、やらないと「ある」ことが腑に落ちません。

身に沁みて味わう体験をすることが恐ろしくて仕方がなくて、わかっちゃいるけどやらなかったら、

どんなに素晴らしいコーチングを受けても、「無い」ことしか認識できません。


それと、行動に踏み出せない場合は、いったい何に怖れを成しているのか?

これ非常に重要なのですが、「過去のことじゃん、過去は関係ないでしょ?」と言いたくなります。

「過去は関係ない」というのを体得するために、まず自分の見えないところに隠し続けた「怖れ」を

「グイっ」と意識に上げたうえで、あとは未来を輝かせて目を向けます。

このことについては、ここまでしか書けません。


「こうでなければならない!」は、いわゆる「地の時代」の最良手段です。

過去に生きるのは、親など「地の時代」のホメオスタシスに同調しているとも言えます。

築き上げたhave toの通りに行動しない人に対して、むかっ腹が立ち、リラックスを忘れ、

相手の土俵で相撲を取り続けて疲弊した挙句、思うとおりにいかない自分に失望します。


自分のゴールをイメージしてください。

柔軟かつ軽やかに、「自分はこうしたい」という生き様を謳歌しています。

今、固執かつ重々しく「こうであるべきだから従え!」とガチガチ生き様の継続で叶うことはありません。


「こうでなければならない!」は、気づき上げた自我から無意識で反応的ジャッジになっています。

「こうでなければならない!」ということは、無限の可能性を否定していると自覚して生きてみる。

それでも執着するなら、コーチングを受けて丁寧に意識に上げてみることから気づき始めます。


結局「こうでなければならない!」を手放すことで、「場」が動き出す体験を目の当たりにします。

後でよく考えたら、「こんな素晴らしい状態になったのも、手放してからだなー」と思えます。

軽やかにジワーっと感謝が溢れて、目の前が輝き始めます。


ただ、ただ、身に沁みて味わう。

ただ、ただ、身体反応に意識を向ける。

「あれがこうだから、こういうことだ」とか、思考を挟まないことにトライし続ける。


「そうなっちゃうんじゃないか?」という不安については、

なんと残酷なことを言うのかと思われるかもしれませんが、「そうなってもいい」んです。

「夢も希望もないわー」と思うかもしれませんね。


考えただけでも恐ろしい状態になることは、なんとしてでも避けたいですし、

「心配事の9割は起こらない」という、的を射た格言もありますし、その通りだと思います。

でも、更に言うと「心配した通りになっても、ゴール設定し続ければなんとかなる」んです!


コーチング理論通り、エフィカシーが高ければどんな状態になっても、それは「ただの経過」です。

考えただけでも恐ろしい事が起きたときに、「もうおしまい」なのか?

なにを感じたいのか?後々どのように捉えることになるのか?

すべて自分次第ですので、どうなろうと、その瞬間はどっちでもいいのです。


人間ですから、痛みはあります。

どんな痛みでしょうか?

思考を挟まずに丁寧に身体反応を感じて観ましょう。

流して循環させるのです。

どっちでも、しっかり味わいながらやりきるんです。


不安を手放すのは、臨場感高く味わい尽くすことが非常に重要なんです。

いや、むしろ「次の体験」のために、どんな身体反応も味わって味わい尽くすのです。

「そこに留まらない」というのは、味わい尽くすことがキーポイントになります。


「どっちでもいい」が、ゴール設定の無い状態で、投げやりなだけなのか?

「どっちでもいい」が、どうせゴール達成するのだから、どうなってもなんとかする心持ちなのか?

どうなってもなんとかする心持ちでの行動は、起こったことへの認識がまるで変わります。


「そうなっちゃうんじゃないか?」というのは、

味わい切ることで痛みが無くなり、次の体験に進んでいきます。

幻想に過ぎないと言えばそれまでですが、味わい切って痛みが無くなる体験って後々重要です。


どうせ幸せにしかならない流れを、3つの通せん坊によって滞留させているのです。

幸せの川の流れを、自我という石ころや泥なんかで塞き止めているのです。

石ころや泥を取り除くというよりは、石ころや泥を調えて自分らしい流れにデザインするのです。


人間ですので、自我は挟みます。

在り方を調えるのであり、学ぶことや、その界隈に居ることだけで「場」は動かないのです。

俯瞰的に眺めると、動かずに滞留していることに気づき、良く観えますよ。


コーチングによって人生を激変させるというのも、誰もがコーチが必要というのも、

この塞き止めが無意識で強固なのに、顕在意識の思考でラベリングしてグルグルし続けてるからです。

コーチングは、目の前が輝き始めてジワーっと幸せを感じたからOKですねというところで終わりません。

(ジワーっと幸せを感じ始めたら、急に歩みがストップする人も多いですが、そこもコーチングします)


そんな状態では、コーチングを受けるには「覚悟」が必要な階層ですので、

本当に人生を激変すると決めたのであれば、まずは「勇気」を持ってコーチングを受けてください。

自分でやってみて、どうにもならないなというところまでやってみてからでもいいです。

コーチングは実践して体現し続ければ激変することを体験しよう。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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