センセーショナルに触れる

木場公園を散歩してて、根拠が勝手に認識されちゃうような幸福感に包まれていたら、
「東京都現代美術館」に行き着いて、何やってるかもわからないのに当日券で入場しました。
そこでは「TOKYO ART BOOK FAIR 2022」が開催されておりました。
全く興味のないジャンルだったのですが、非常に私にとって刺激的で面白かったです。
最近、人々の「表現」に重要性が高まっているので、自ずと認識する機会がやってきたのでしょう。
自分が「表現」に長けた人間に「なっている」と決めているので、当然の流れです。
アーティスティックな本が所狭しと展示販売されていて、それぞれが個性的で超カッコイイし、
ブースに居る人たちや見に来ている人たちが、それぞれの「個性」として自らを表現していて、
前衛的なようで古き良き部分も自然と取り込んでいるような、物凄いセンスを体現しておりました。
私は、ファッションセンスがあるとは思ってない人生を過ごしておりましたが、
皆のとんでもないファッションセンスにホメオスタシス同調しているのが、非言語で感じられます。
コンテンポラリーな感覚のコーチングを私がクライアントとして受けている状態です。
センスが良いので、文字通り超絶カッコイイのですが、
もちろん「表現」ですので、「熱い輝き」の波動を「場」を通してドバドバ発してるんです。
いくらカッコ良くても、いくら理論的でも、熱くなければ波動が身体を通して響かないのです。
「自分はこうしたい」という表現を、内側の熱い輝きで思いっきりやるのもそうですし、
木場公園で青空の下、自分の影を見るだけでジワーっと幸せを感じる静かな輝きもそうです。
相手がどうとか一旦置いといて、身体を通して響くような「表現」をただやりたいからやる。
誰かにやってもらうんじゃなくて、自分でやる。
そこで自分の培ってきた自我が歯止めを掛けるので、コーチのサポートを受ける。
でも、コーチにやってもらうんじゃなくて、自我が書き換わって自分でやるってことです。
私自身、何もかもの芸術に理解があるわけではないですが、
「表現」という生き様に包摂されていることは間違いありませんので、
私のゴールにおいて、美術というか有形のセンスの数々が重要になってきました。
自分のコンフォートゾーンの中でグルグルしている日々を送っているのであれば、
行き当たりばったりで、全然触れ合ったことが無いセンスの良い場所へ飛び込んでみると良いです。
カッコイイし、ハッピーだし、純粋に触れ合っているマインドは豊かです。
とんでもなく抽象度が高いセンスの中で、日々それがコンフォートゾーンの範囲になっているなら、
それしか見えない人になる危険性があり、実は狭くて窮屈な「小乗」の表現に留まります。
自分のゴールに繋がりながら、いろんなセンスに触れることで自らの抽象度は「上がる」です。
芸術家は自らの表現の爆発のために、違うジャンルのセンスに触れよう!
次は、自然が発する「紅葉」のセンスに触れに行ってきます。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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