狙ったつもりはないんです

まぁご存じの方も多いと思われますが、昨日(10月22日)は「天赦日」ということで、
音楽という無形の芸術がコンフォートゾーンの私ですが、
美術館に行って有形の芸術に触れる機会にしようと行動を起こしてみました。
「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」なんて、「禅の庭」に興味がある自分としては、
「なんか美術展とかよくわかんない自分でも、なにかよさげな気がする」と思ったけど、
鈴木大拙もサリンジャーもジョン・ケージも、誰もかれも思想がわけわからなかったです。
音楽で、ジョン・ケージの「4分33秒」という曲があるのですが、
あの芸術も私にはわけが分かりませんでしたが、今回の美術展もわけが分かりませんでした。
「空」だということを、なんか久しぶりに意識に上げて頂いたかな?とは思いましたけど。
圧倒的なコンテンポラリーセンスに臨場感高く触れることができたのは良かったと感じる。
コンフォートゾーンを移行するのって、「ぶっ飛んだセンスが当たり前の空間」に触れて、
且つ、自身のゴールに踏み出し続けるのが、しっくりくるように感じております。
初めから理解できなくても、こんな日だし無意識に投げとくのもいいかなって。
「こういう芸術を理解しなければならない」とhave toみたいなこと考えてるわけではなくて、
身体があるんだから、「体験したいな」と思ったら、行動してみるってことです。
話は変わり、天赦日でなくても定期的にゴールを書きだしたりしてるわけですが、
自分のゴールにおいて、いつも感じている「現状の外で、なかなかはっきりイメージできない」
こういうことってありませんでしょうか?
美術展の後に行ったところは、狙って行ったわけでもなく全く持って偶然ですが、
その「場」が「あー、なんかこういう感じがゴールの世界観な気がする」というところでした。
実現するための方法も未だわかりませんが、「あー、なんかこういう感じ」ってデカい!
「そんなの無理だよー」と言われそうなゴールですけど、
「そうなったら、最高だぜ!」と、そうなったときの情動をジワっと思い浮かべたり、
しょっちゅうゴールに関連してることを情報収集したりというのが当たり前になると、
偶然みたいな顔をして、実は無意識が探した結果が表れるということなんです。
もちろん、「ゴールを達成してるということは、こんなコンフォートゾーン」というのが、
イメージ出来る限り今からでもそういう振る舞いをすることも重要ですし、
例えば、コーチとしてクライアントとセッションしているのがコンフォートゾーンなのであれば、
そのための行動を無限の可能性から選択していけばいいのです。
自分なんかより、全然ゴールに向けていろんなことを実現し続けていて、
見てると羨ましいなーと思っちゃうような人も居るかもしれませんが、比較する必要はないし、
そういう人だって、見えないけどカッコ悪いこともありながら行動し続けたのです。
自分の情けなく感じる部分に、エフィカシーまで引っ張られることもなく、
ゴールを実現し続けると決めて、途中で辞めることなく現状の自分基準で判断することなく、
痛みも喜びも体感しながら踏み出し続ければいいのです。
面白いことが偶然の顔して少しづつ自分の生活を覆いつくし始めますよ!
あなたもそうなれます!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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