学びで自分を安心させても「場」は動かない

あなたは、あれが真理だ、これが本物だ、ワーワー学んでるわけですけども、
「本当にオレって、どんどんゴールに向かってものすごく人生好転してるわー!」と、
リアルなインパクトの臨場感でビシバシ現実世界で体感を堪能してないんです。
「これ学んでおけば間違いない!」とは思っていて学んでるでしょうが、
「そうそう!これこれ!」という、自分にとっての最高にハッピーな状態になることもなく、
何かを読んだり視聴したり参加したりして「エフィカシーが上がった」とか言ってます。
上がった(と思っている)エフィカシーは一過性にすぎない不足感を認めたくないので、
私は高い高いぶっ飛んだゴールを設定しているから、そんなすぐに実感しないだけで、
それでも崇高なゴールのイメージに臨場感を感じているんだと思い込もうとしている。
でも、あなたは一歩を踏み出していない。
学ぶことは、現状の自我のままでもサラッとできちゃう。
一歩を踏み出さないで安心した状態で学び続けていると、
自分を安心させるための言い訳っぽい情報を得ることができます。
ゴールにとって必要であり、そこに向かって踏み出すことが居心地悪くて仕方がなくても、
ゴールへの好奇心で現状の認識なんて振り切って踏み出しながら、
学び続けていることを活かし続けるようでないと、学んだことを理解することはできません。
あなたは、学んでいるだけだと変わらないと解ったとしても、そこに居続けることができます。
しかも、ほとんどの人がそこに居続けているのですから、ぱっと見安心です。
「私は現状の外とは言ってるものの、怖いのでこのままを選択します」という世界で生きれます。
気になるコーチが居ても、そのコーチに会いにも行かない何もしないでは、
学びで一時的な安心と、気持ちの奥の不足感を繰り返しながら現状を生き続けますが、
気になるほどのコーチが居ないという人もいるのかもしれませんね。
「このコーチ達の魅力が、私には感じられないんですけど・・・」と、
正直、そのように感じている人って実際のところ多いのかもしれません。
コーチ自身が学んでるだけという可能性も大いにありますからね。
そこが、非言語でわかる人なんだろうと思います。
このブログをここまで読んでる人は、私のクライアントか、踏み出してない人なのですから、
そのままだと、学んでもそのままですので、めっちゃ弱りながら踏み出す決断をするか否か?
結局、あなたはどうしたいのか?
「こうしたいけど、でも今は無理」ということは、そのままということですし、
「いつか大丈夫になったら」の「いつか」は、そのマインドのままではやって来ません。
ゴールに踏み出すと決めて、現状を断つのです。
「決断」です!
全てあなたが決断した通りの世界が映し出されます。
現状の自我が無意識までもストッパーとして、その選択をしています。
「結局、あなたはどうしたいのか?」によって決断するということ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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