この表現もいいんだけど私らしくないな・・・

なんかあれだな・・・
最近、聴こえのいい内容のブログを続けてたな。
アドバイスっぽい、「いい人がいいこと言う」みたいな波動だったな。
それはそれで「我ながら素晴らしい内容だ」とか、いつも自画自賛してるんですけど、
ご覧になった方が「認知的不協和」になっちゃうような、ザワザワするような内容ではなかった。
年齢を重ねて丸くなって、刺すようなエモーションが無くなったパンクバンドのようだ。。。
コーチとしてセッションを重ね、クライアントさんも動き出していて素晴らしい。
コーチとして活動できて幸せであり、自分のやりたいことであるのは間違いないし、
これからもコーチングマインドで謳歌していきたい。
しかし、自然と私の魂から発せられる表現が溢れ出てないことに無自覚になっていました。
コーチとして活動するというのは表面的なことで、この「エモさ」を熱く波及していくことが、
私のwant toだったというのに!「結局なにがしたいんですか?」って「エモい自分」です。
誰にも見られてなくても、それをやってるときに最高にエモさが溢れること。
それを、ただ想いの限り表現し続けたいんです。
バンドのライブでもいいし、コーチングでもいいので、自分から溢れる瞬間を表現したい。
そのコアな部分よりも、「コーチとしてどうしていこうか?」とか「やり方が合ってるか」とか、
考えなくてもいい訳ではないけど、そういうのがメインになりすぎてシンプルさに欠いてました。
これ、コーチ活動を続けていて、気づかないうちに陥ってる可能性がある人たくさん居ます。
むしろ、この内側から溢れる想いを発するということについて、
臨場感をほとんど持ち合わせていない(奥の奥にしまい込んでる)状態でコーチ活動をして、
知識や技術の伝達によってマインドの使い方を上手にしようとしているコーチに関しては、
凄くもないし、グッとこないなーっていつも感じます。
「想いが溢れる」といっても、熱い「動」のエモさが溢れることだけではなく、
ジワーっと想いが溢れる「静」のエモさが浸透することも含んでおります。
クライアントさんのジワーっとしたエモい話を聴くのが、とても好きな瞬間です。
多くの人に共感していただくような内容を披露しながら、それを裏付ける膨大な知識があっても、
「それだけ」だと、セミナー講師レベルであり「勉強なりました!」止まりの影響力です。
表面的な自己啓発ではない、内側が輝き現状の外を体験し続ける「エモさ」を表現していきます。
メソッドは、学ぶこと自体が重要なのではなく生き様に体現してこそ活きます。
理論を学んでいるはずなのに、密かにどこか煮え切らない生き様を繰り広げている方は、
今後の投稿にロックオン(check this out)してみると良いです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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