そんな表現から波及する

バンド活動が趣味って話はよくするのですが、コーチング実践も趣味です。
「えっ?針金コーチは趣味レベルのくせにプロコーチとか言ってるんですか?」
プロコーチとして、コーチングを提供する仕事もしております。
だから常にコーチング実践することも仕事の内です。
でも、その前にコーチング実践は趣味であることは間違いありません。
「なんだ、趣味程度のお遊びか」って言う人のパラダイムとしては、
「趣味ってのは覚悟もなく、適当に楽しくやるというものだ」という捉え方になっております。
趣味って、自分自身が楽しいことは前提で、手を抜く抜かないは本人次第です。
コーチングの書籍を読んで、「へー」と、ワークの一つでもやろうかな?って程度の趣味の人、
のめり込むように、人生を実験材料かの如く全身全霊でコーチングを実践するほどの趣味の人、
そして、心が震えるほど味わったコーチング実践をアウトプットとして発信する趣味の人。
どれも、「自分がやりたい」コーチング実践が趣味の人たちです。
ちなみに今日の本題は「コーチング学習が趣味」ではなく「コーチング実践が趣味」ですよ。
「過去にこんな実績がある。これはコーチング実践で言うと・・・」ではなく、
まさに今、リアルタイムでコーチング実践していて、躍動感が非言語で感じられるレベルです。
普段から毎日コーチングを実践している躍動感を感じられるコーチが少なくてですね、
語れるほどの日々を送っていないのではないかと思うんですよね。
語れるほどの日々を送るということは、現状の自分のブリーフシステムにとって、
大変都合の悪い現実を見ることになり、向き合うことになり、受け入れることになります。
そこを避けることにより、語れるほどのコーチング実践の日々を送れないのです。
そんな、クールでインテリジェンスなコーチ像だけではないのですよ。
醜い部分も弱い部分も逃げ出す自分も確かに居ることを、心のどこかに押し込み隠すだけでは、
結局、語ったとしても誰にも響かず、仲間内にポチっと「いいね」押されてすぐに消えるんです。
それが、コーチングを学んだだけであることの賜物なんです。
そこに所属して、そこの場に参加することが趣味であるということです。
ワタシだって自らコーチングを受けて、逃げ続けていたことをコーチングして頂き、
「もう勘弁してくれー!」ってくらい、自我が崩壊することもあります。
しかも、自分の都合の悪い話と向き合うようなことを言われると、
急に眠くなって、まともに聴けなくなって、現状を維持しようとするんです。
それだけ、クリエイティブアボイダンスは強力に機能してしまうんです。
それでも実践していくと、もちろん現状に変化が現れ始めるのです。
そういったことをやりたいことだからずっと続けていたら、誰かの心に響き始めて、
結果として仕事に繋がったり、様々な自分の「一人一宇宙」に作用していきます。
このブログも、読む人によっては都合が悪くて眠くなるんだろうな。。。
それでは、「場」が動きませんからね!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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