イメージに臨場感を感じれば自然と必要性がある

お金は、ゴールを支える土台であって、「〇〇円稼ぐ」自体がゴールなんていうのは設定違い。
100億円資産があったところで、自己のゴールのイメージに臨場感を感じていくと、
「こりゃゴールの状態は101億円持ってるな」ってなったら、その方法を認識する。
土台の役割(仮)なので、「いい人」も「極悪人」も区別なく、
多くの資産を所持している人も居れば、少額の資産を所持している人もいます。
ただの数字で見れば、「いい人で感謝しているからこそ多くの資産がある」とは言えません。
「お金、お金って!そういうこと言ってるって自己中心的なんだよ!」って
反応的にリアクションをする方もいらっしゃるかもしれませんが、ちょっと待って!
ゴールのイメージに臨場感を感じるって「コンフォートゾーンの作り方」という本を、
何年も前から何回も読んでる人も居るんじゃないかと思うんですよね!
なにせ、苫米地博士の大ファンが大勢いらっしゃるわけですから!
「答えなんて無いんじゃないか?」って思っちゃう抽象度高いゴール(例えば世界平和)も、
「世界が平和な状態になっている」という事象の話だけだと、臨場感はありません。
「愛しい人と結婚する」「オリンピックで金メダル獲得する」「1億円稼ぐ」みたいなものです。
それ自体がゴールなのではなく、それでどうなっていて、どういう情動を味わっているのか?
いわゆる「words、picture、emotion」の臨場感を深めていく。。。
ここまでは、教科書(書籍など)読んだ人が理解できる範囲です。
「世界が平和な状態になって、こんな素晴らしい景色が広がって、こんな情動を味わっている」
考えただけでムフフってニヤけちゃうような、ワクワクするイメージですよね。
「これで臨場感も完璧さ!」って満足しちゃいそうですが、
そこで満足していると、フワフワ浮いているような怪しいコーチングの実践になります。
「うわぁー世界平和ってサイコー」って漂っているだけであることに気づけなくなります。
世界平和のゴールの世界が実現したとき、当然ですがあなたは生きていて生活しているのです。
24時間食うことも寝ることも風呂に入ることもなく、
目の前の世界が平和である景色を眺めていい気分になっている訳ではないのです。
朝、どんな目覚めで「あぁ、今日も最高の一日だ」と実感するのでしょう?
世界が平和なら、公園の片隅に段ボールを敷いて寝起きしてる状態でも良いのだろうか?
世界が平和なら、「今日は食パンだけで、3食乗り切ることになりそうだ」でも良いのか?
世界が平和になるために、どんな素晴らしい活動を認識して、その土台としていくら必要か?
利他とか利己とか区別するというより、ゴールの状態のイメージに臨場感を感じれば感じるほど、
ただ、未来から流れた結果、いかほどの土台(金額)が必要なのか?
その土台に対して、お金の罪悪感とか挟む必要はなく、世界平和(利他)実現の為にも、
ちょっと考えただけで、たくさんの土台(金額)が必要なのかもしれません。
フワフワ浮いた臨場感も本当に非常に大切なのですが、
土台に対しての臨場感がスコーンと抜けていては、利他的な目的とか、セールスをしないとか、
そういった言葉たちを都合よく解釈してしまって、妄信するだけになってしまいます。
「金だ!金だ!金持ってこーい!」みたいな、乱暴でゴールの無い稼ぎ方は利己的ですが、
ぶっ飛んだゴールがあって、そのために「あれもやりたい」「これもやりたい」ってなって、
そうなると土台(金額)が必要になるって自然なことでも、お金の先入観が邪魔する人が居ます。
「お金、お金」に反応的になるのは、お金を都合よく解釈した自分に対して、
「自他一体」として、誰かを介してあなたのマインドを映し出してるのかもしれません。
お金はゴールになり得なくても、ゴールの土台として必要なのは当たり前のことです。
今一度バランスホイールを立体的に見直すとフレッシュにリスタートが切れます。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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