スマホとイヤホンを置いて歩く

御殿山あたりを散策しました。
そこに用事があるわけでもなく、知ってる場所でもありません。
こういうのって、結構重要だったりするんです。
普段から意識的に自宅から1駅2駅分くらい歩くことを習慣づけているのですが、
今日はぜんぜん違う場所の品川から五反田まで歩いていこうと決めて実行して、
ふと、信号で立ち止まって右を向いたら、魅力的な上り坂の道が目に入りました。
結構急な坂で、その中で高級感が感じられる建物が余裕ある感じで軒を連ねて、
御殿山っていうくらいだから、下る坂道もかなり急勾配でしっかり地に足つけて歩かないと
転げ落ちてしまいそうなレベルであり、それなのに背の高い建物とマリアージュしてる。
大体住宅街なんて、どこも同じような感じと捉えている人にとっては、
一つ一つが小さいながらも発見が多い場所なのではないかと思いますし、
自然が多いところだけが歩くに相応しい道ではないということが実感できます。
ふと思ったのは、例えば地方都市なんかは車移動が主流であり、
「車持ってないと話にならない感」があります。
「ちょっとコンビニまで」すら車移動のような生活がコンフォートゾーンだと、
たまに歩いて、気づかなかった素晴らしさを発見する機会が少ないのではないか?
もしそうだとしたら、かなり自分の慣れ親しんだ範囲で、いつもの生活をしています。
これって、けっこう自分の可能性に盲目になっていって人生の躍動感が衰退します。
最近私がよく言っている、魅力が「ある」のに「無い」と捉えてしまう要因になります。
とうことは、幸福度が高いという結果になりにくい傾向になります。
見ることが無いから知らないのであり、「ある」のに「無い」と捉えます。
我が故郷、能代市も当然のように車移動が主流です。
普段は、会社と自宅で過ごし、週末は家族サービスでバイパス沿いの店舗に車で買い物に行く。
「そんな生活してるお前らはくだらない人生だ」と言ってるわけではなく、
そんな生活の中でちょっと早く起きて、今はツツジが咲き誇る「能代公園」を散策するとか、
日本が誇る広大な砂防林、「風の松原」の中を歩いてみるとか、
逆に、バリバリシャッター街となっている、「畠町」を歩いてみるとか。
「はまなす展望台」や「はまなす画廊」がある、港に行って歩いてみるとか。

「能代公園」はツツジだけじゃない魅力があります。
上の方まで登ると、「五智の坂」を下ったあたりの町内から米代川の方まで見下ろせます。
実は、高い場所から景色を見下ろして小さくも多くの発見をすることは、
抽象度高く捉えることを臨場感高く実践することになるので、マインドの使い方に役立ちます。
豊かなマインド側に、だんだん移行していくきっかけになるんです。

「風の松原」に一歩足を踏み入れると、私の場合は「中学生の部活」の記憶が一瞬で蘇ります。
毎日のように部活でランニングコースを走って、自然と深い松原の匂いが染み込んだのでしょう。
過去の良い情動が呼び起こされるのも(悪い情動は思い起こす必要はない)
ゴールを達成したときの情動のイメージに役立ち、ゴール達成時の臨場感醸成になります。
それと、この歳になって気づいたんですが、早朝に風の松原を歩いたりランニングしてると、
歩いている高齢者の方に9割方気持ちのいい挨拶をされます。
こちらも豊かな気持ちで、心地よいコミュニケーションをとるのが当たり前の人になります。

この写真の場所だって、「畠町」周辺(元町らへん)を歩いてたら遭遇したんです。
急にラピュタの世界に迷い込んだかと思いました。
メインの通りを車でしか通ってない生活をしていれば、これに出くわしません。
この状態から感じられることって、たくさんありますよ。

能代市の至る所から、遠くの方に見える多くの風車。
遠くから見たら「回ってんなー」くらいの感覚で見てるようで見てない状態ですが、
港まで行って風車の真下に立つと、とんでもないデカさに圧倒されるんです。
「人間ってすげー!」と思います。「創るって凄いことだ」と圧巻されます。
見る場所、捉える心によって、人間が創り出した世界に圧巻されるんです。
能代市のオススメスポット紹介というよりは、
スマホなんか閉まって、イヤホンで何も聴かずに、ただ歩いて発見する。
普段から近くにあるので、思い入れもなにも薄れている場所でも、
様々な発見があり、豊かなマインドに移行するために有用だということを気づくきっかけです。
実は素晴らしさは、そこに「ある」というのがだんだん開けてきます。
これを読んだ方も、歩いて発見してコンフォートゾーンを移行して豊かなマインドになろう!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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