申し訳なさそうな関係性を辞める

週末に、我が故郷秋田県能代市に滞在時間もわずかながら帰省してきました。
ちょうど同じタイミングで「能代ふるさとPR大使」になったので、
前回のブログのような表向きの情報発信になりましたが、帰省理由は別件です。
否応なく!
家族と向き合うことに直面した、短くも非常に濃い週末でした。
家族であり、父とであり、またどこかに常に居た「罪悪感」との向き合いでした。
コーチングではスタンダードな話なのですが、
「ドリームキラーにゴールは言わない」というのがあります。
ドリームキラーは「他人のゴールを否定する人」ですね。
「やめとけって!」「お前の為に言ってるんだ!」「夢を見るのもほどほどにな!」など
「お前なんか夢を叶えるんじゃねー!」という悪意からではなく、
「ホントに大好きなあなたのことを想って言っている」という善意のドリームキラーの代表が、
家族である場合が非常に多いというのは、イメージできるんじゃないですかね?
悪意であれ、善意であれ、ドリームキラーの対処法として、
「ゴールは他人に言わない」というのがあるんです。
自分のコーチには、ゴールを言うことで最強のドリームサポーターになるということです。
私自身、過去に家族にゴールを言いかけた時点で、
とんでもない臨場感で善意のドリームキラーというのを体感して、
それ以来、文字通りゴールを言わずにコーチの道を突き進んできたのです。
現在コーチとして活動しておりますが、今回の家族との向き合いで顕在化したのは、
ゴールを言わないことで、ドリームキラー対策にはなるけど、
実は、気づかないくらいジワリと家族に対して「罪悪感」があったということです。
そして、多くの人の参考になるのでは?と思うことは、
「罪悪感」は、気づいていても気づかなくても、ゴールに向かう足をそっと掴んで、
パフォーマンスを超絶低下させて、めっちゃ牛歩にさせるんです。
これって、結局のところ
自分自身が自分のゴールに対してドリームキラーになっちゃってるということ。
「自己のゴールに対する自己能力の自己評価」が著しく低くなっているので、
そりゃ申し訳なさそうなパフォーマンスになるし、リラックスなんて困難さ。
大切なことに当てはめてみなよ。
仕事で、緊張でガッチガチで申し訳なさそうにプレゼンする人の結果は良くないでしょう。
趣味で、例えば発表会があって緊張して申し訳なさそうに披露されても心に響かない。
お金で、頂くことに罪悪感を感じていたらリラックスもできないし信用を得られない。
罪悪感に気づき、しっかり向き合い、「そんな自分も居る」と否定せずに認めて受け入れて、
そのうえで、自分はどうしたいのか?によって、罪悪感を手放すことが非常に重要です。
罪の意識で対峙する関係性なんて、豊かでも魅力的でもありませんもの。
罪悪感によって、自分がゴール達成することを自分で許可できなくなります。
しかも小さい頃からの潜在意識だったり、強い臨場感体験からジワリと覆うような感じだったり、
とにかく、気づきにくい場合が多いんです。
何かに申し訳ないと思いながら生きることが自分の在り方なのか?
豊かに愛を持って生きて、その波動が多くの人に伝わるのが自分の在り方なのか?
はたまた、自分さえ幸せであればそれでいい!というのが自分の在り方なのか?
「罪悪感」を手放し「純粋な愛」を育むパフォーマンスを選択してこそです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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