僕は笑っているのかも

もう見頃は過ぎましたが、桜が綺麗です。
先日まで忙殺されるという選択をしていたので、
目の前に桜が現れても「それどころじゃない!」という体験をしました。
「心にゆとりがない」というのは、豊かな味わいさえもシャットアウトしてしまうんです。
圧倒的な桜並木道の真っただ中で、全く桜に重要性を感じずに通り過ぎるんです。
「それどころじゃない!」って、誰に対してもジワーっと与えられないんです。
なんというか儲かってないお店ほど、何に対しても切羽詰まっていて
ピリピリした空気でお客様に喜んで頂けてないような状態を体感として過去に経験したのに、
今度は、個人で切羽詰まって必死こいて乗り切ったことで、
とんでもなく大きな気づきを経てコーチとして飛躍できました。
そして終わりかけの今頃になって「桜が綺麗だな」としみじみ思っています。
桜が綺麗で皆が魅了されている一方で、他の国では戦争中です。
それこそ、どんな綺麗なものを見ても「それどころじゃない!」状態でしょう。
早く終戦して皆が生き残り、生命力にみなぎる生活を送ってほしいと思います。
苫米地式コーチング認定コーチの中には、抽象度の高いゴールとして
「世界平和」をゴール設定しているコーチもいらっしゃるのではないかと思います。
そんな平和イベントも盛りだくさんですし、本気で世界平和を望むなら参加するでしょう?
というよりも、世界平和が本気なら、いても立っても居られないでしょう!
毎日のように本気で世界平和について考えたり行動したりしてることでしょうから、
ついに有事になって、余計なこと考えずに「思わずやっちゃう」ことに体が勝手に動くでしょう。
抽象度の高いゴールとして、世界平和を設定するのはいいのですが、
こういう時に何もしないなんて、ゴール自体が嘘っぱちとしか思えません。
今にでも出来ることが、たくさんあるのですからね。
もしかしたら、普段生活してて、駅前なんかで一生懸命募金活動している人達のことを
重要性が低すぎて認識できないかもしれません。
世界平和に対して本気なら、募金活動くらい認識するほどの重要性でしょう。
それとも、世界平和をゴール設定してて、戦争が起こっていたとしても、
「それどころじゃない!」という、ゆとりがない生活を勤しんでいるのか?
心にゆとりがないと、誰に対してもジワーっと与えられないんです。
抽象度の高いゴールは何のため?
誰かが「世界平和!」って言っててカッコイイと思って、自分も世界平和をゴール設定した。
「世界平和目指してます!」って言うと、知り合いがすごーいとか言ってくれるかもしれない。
「動機が内側か外側か?」結局どこから湧き上がるものなのかがわからなくても、
こんなときでも、やらなきゃ心にゆとりができるわけがございません。
やってみることで、いろんなことに気づき見えてきますので、
そのためにも、コーチに依頼することに対しての重要性を高めてください。
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