ゴールは教習所で起こるんじゃない!路上で起こってるんだ!

たとえ話でなんですが、
車の運転してる動画を見て覚えただけでは、いきなりベテラン並みに路上で運転できません。
教習所で、ベテランの教官に親身になって徹底的に教えて頂いたところで、
いきなりベテラン並みに路上で運転できません。
やっぱり、いくら「見て覚えた」とか「教官にめっちゃ教わったもん」と言っても、
「ということは、この人は完璧に路上で運転できるんだろうな」とは思われません。
だから、それ相応の知識や技術があるだけで、まだプロではないのです。
そんでもって、教習コースでしっかり運転技術を身につけた時点の人が、
「路上では、こんなことがあるから、このように注意しよう!」とか発信しても、
「確かにそうだな」と思われますが、非言語で臨場感が乗り切らないんです。
確かにそうだとしか言いようがない発信でも、受信者に響き渡らないんです。
では、何が響くんですかね?
響かせるには、まず自分が路上で運転し始める決意が必要になってきます。
教えてくれた教官だって、路上で鮮やかな運転を実際にしてるから伝えられるのです。
自分自身路上で運転してみて、
「こんなことが起こって、あの時学んだ〇〇を活かしたら上手くいって嬉しい」とか
「強烈なこんなことが起こったら、あの時学んだ△△の事を忘れてしまって身に沁みて反省した」
こんな、今まさに学んだことを実際の局面で体現していることを発信すれば、
学んだ〇〇や△△を自分なりの言葉で伝えられて、仲間内ではなく、深く響く人が現れます。
路上には危険があることは確かです。
しかし見晴らしが良かったり、爽快な運転を体感したり、良い情動を満喫できるんです。
ずっと、教習コースを走行していたら味わうことが無い情動体感です。
教習コースで学ぶ必要があるときは、その学びに重要性を感じてるのですから学べばいい。
重要ではないのに「あの講習会やってるから」という理由で参加しても、ほぼ認識できません。
路上に出て実現したいことの方が重要性が高いはずなんです。(本当のゴールであれば)
その学びが、マニアックな部類に捉えられてしまい、
その学びに感銘を受けた人のみが恩恵を受けるレベルの
「小乗」というか「上座部仏教」みたいな狭い抽象度の状態を抜け出すには、
教習所で学んだ人が、実際に路上で運転している臨場感を伝えることが必要なんです。
教習所で学んだことを、教習所から出ることもなく教科書の通り伝えても伝わりません。
翻って、コーチとしてのあなたはいかがでしょうか?
コーチとしての活動に限らず、生活のいろんな分野で(バランスホイール設定したでしょ?)
実際に路上に出てる(現状の外に踏み出す)ような臨場感を情報発信できますか?
趣味でもいいし、仕事でもいいし、健康でもいいし、利他的な普段の活動でもいい。
「私は今まさに路上で運転して、いろんなことがあるけどマインドの使い方で進んでる!」
これを臨場感高く発信できることがあるはずです。
自分が主体のことです。
誰かのやってることを手伝ってる状態を超えるようなことです。
そういったことを常に経ていくと、
既に経たことなので当たり前になってるようなことを、ラポール築けた人に伝えると、
自分からしたら「えっ?こんなもんで?」というようなことで、
相手にめっちゃ感動されることを体感することでしょう。
これも、1対1のコーチングの喜びであり楽しさです。
意味が解らなければ、路上に出てください。
路上に出なければ臨場感高く実現しないので、解らないという現状を維持します。
「そこ」が教習所であれば、路上はどこだという重要性を高くして観てください。
学んだとおり、重要性が高いことは認識できます。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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