やってみて困ってからがプロコーチになるかならないかの分かれ目

多分、今居るところの内輪ノリの同調圧力によって、
目立った活動をすることが良しとされない風土があるなんてことはないと思いますので、
そんなの重要じゃないからスコトーマで隠して、誰もが自由な活動をできる前提で書いてます。
周りのコーチがどんな状況で、どんな活動をしてようが、
自分が「コーチとしてこう在りたい」という方向に踏み出したとしましょう。
そしたら、何も困ることなくプロコーチとしての活動が軌道に乗れば良いですね。
さて、「何をやってもなんにもならないぞ!困ったな!」と思う事態に突入したり、
「ただ単純に、何を発信したらいいのかすらわからないぞ!困ったな!」という状態だったり、
実際のところ、活動量に比例せずに困る事態に突入する人が、ほぼほぼだと思います。
コーチのように、マインドの使い方を教えるような立場なのに露骨に困るなんて事態は、
とてつもなく不快であり、「私はそうじゃない」と否定したくなります。
確かに、1対1というハイパーラポールを築き上げることよりも、
n対1という、ぼやかした発信の方が「いいね」みたいな成果をサラッと味わえて困りません。
n対1の「n」の人たちに、どのくらい発信が浸透するのかを意識に上げるのがプロコーチです。
知識として知っておいて欲しいですが「n」の人たちは、完全に直接的な発信ではないので、
響いてるつもりでも、響き渡ってないのです。
だから「困った」ことを否定して、安全安心の方に戻ることでまた踏み出さなくなるようでは、
プロコーチとしての静かな青い炎が、消えてしまっているということになります。
炎が消えてしまってる状態では、いくら知識があったところで、いいこと言ったところで、
想いを臨場感高く非言語に乗せることができないということですので、本気の人に響きません。
だから必然的にコーチとして選ばれません。
困って、困っている自分と向き合って、困っている自分を受け入れる。
「プロコーチとしてこう在りたい」という青い炎は、静かに燃え続けている。
この重要性により方法や縁起が認識できることは学んだはずだし、実際その通りの体験をします。
その認識した方法や縁起も、コンフォートゾーンの外ですので、踏み出すことが必要になります。
「コーチとしてこう在りたい」という、自分の生き様の話ですので、
尊敬する人や、実績あるカリスマがなんて言おうが、踏み出すのが自分の人生です。
そのように学んできたはずです。
何も困ることなく、すんなりうまくいけばそれはそれでいいですし、
困った人は、困ったからこそいいんです。
そこでプライドなんかでゴール達成をストップしなければ、
いずれ良い経験を経て良いコーチになります。
シグモイド曲線なんです。

最初は何も起こらないんです。
徹底的に困るんです。
コーチっぽくなくてカッコ悪いんです。
でも、そんな時期を臨場感高く情報と物理の両輪を回して踏み出し続けるって、
本気の人には、逆にカッコ良く映るんです。
本気じゃない人は嘲笑うかもしれませんが、そんなドリームキラーなんか認識すらしない。
本気の人からしたら、困ることを避けてふわふわ漂ってる方がカッコ悪いのです。
踏み出し続けるのは、あなたの決意次第であり、
同調圧力も先人のデータも踏み出す決意に影響を及ぼすようなものではありません。
困るということは自分の現状から考えてるので、スコトーマが掛かっているということ。
プライドも同調圧力も関係なく、実際にやってるコーチに訊くことで可能性が拡がります。
その人にとってピッタリのコーチが違うということは、
多くのコーチが1対1で活躍するようになれば、
多くの人にとってピッタリのコーチが見つかるということですので、
それこそ利他のマインドが連鎖的に波及するということなので、ホントそうなりたいですね!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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