で?学んで今どうなの?

「インプットだけでなく、アウトプットしてこそ体得だ」みたいな、
「そんなん聴いたことあるわ!」というやつ。
アウトプットって、どういうことかね?
「〇〇は△△ですから▢▢するのです」という理論を学んで、
「おー!なるほどー!」と、ものすごく納得してインプット完了!
早速その夜にでも、Twitterとか、どんな手段でもいいけど、
「〇〇は△△ですから▢▢するのです」と、投稿する。
知らない人にも届くので素晴らしいですが、活きたアウトプットではないと言えます。
リツイートもそうですね。
誰かのツイートを見て「確かに!」と感銘を受けて、リツイートする。
多くの人に届く可能性が広がるという点では素晴らしいですが、
自分に届いて、そのまま他の人に届けているだけですので、
自分の活きたアウトプットではありません。
何か学んで「あー!そうそう!」と、めっちゃ納得するのって、
過去の臨場感体験を見事に言語化したというか、科学ではこういうことだったのか!と、
ピタッとはまるような、あの時の原因を示してくれた時だと思います。
それをアウトプットするのだと、ちょっとだけ活きてきます。
なにせ臨場感高く体感したことを、学んだ理論を用いて言語化して伝えるわけですので、
読んだり見たりした人に臨場感として伝わり、その階層に居る人を導くきっかけになり得ます。
でも、ここまでのアウトプットって、ずっと続きにくいんです。。。
誰かの受け売りか?過去の自分か?ですので、躍動感を維持できないんです。
コーチングを学んだ人には当たり前ですけど、過去の出来事よりも重要なのは、
現状の外のゴールを設定して、その在り方で生きる「今」なんです。
そうなると、
インプットした→実際にやってみる→体験をする→どう捉えるか?→それでどうするか?
そういう実際の思考や行動を積み重ねて、学んだことが腑に落ちて自分のものになり、
自分ならではの、イキイキとした躍動感と内側の輝きが感じられるアウトプットができます。
理屈で言うと、このアウトプットをしていない情報発信がほぼほぼなんです。
「誰かの理論を、自分の格言っぽく発信する」
「誰かの言葉を、そのまま発信する」
「過去の出来事を、誰かの理論を基軸にわかりやすく発信する」
どれも素晴らしいので、「そんなことするな」ということではないです。
ただ問いたいのは
「それで、現在抽象度がどれくらい高く広くなり続けているのか?」
「学んで、いろんな体験をして、どんどんマインドが変化してるのか?」
「この人は学んだことを体現し続けている生き様だなと感じられるのか?」
これが無ければ、「学んだからどうなの?」というのが、伝わらないんです。
「この人学んだからどうなの?」というのが伝わらないということは、
この人が提供することを、こちらから依頼して与えて頂きたいとはなりません。
理論が素晴らしいと感じたら、理論を学ぶ方に依頼して学ぶことでしょう。
学んで、学び続けている。
大変素晴らしいですが、「だから進んでいる」というのが伝わるのか?
「実は学び続けるだけで、留まっている」から、留まる者にしか届かないのか?
今、とんでもなく抽象度の高いゴールを設定しているとして、
本気でそうなると思って行動しているなら、日々その躍動感を伝えてこそアウトプットです。
インプットだけだったら、どんなに抽象度の高いゴールを設定していてもイキイキしません。
「〇百冊読了」って、「すげぇ」と思いますが、それでどう輝いてるのか?
それが伝わる人って、読了した人のうち何%なのか?
そこを認知的不協和で避け続けていたら、実は現状を維持し続けています。
学んだなら、どうしたいですか?
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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