
学んで、肩書があって、今現在どう?

コーチングを学んで、「こりゃ本格的に学んで認定コーチになりたい」と思って
一定期間講座を受講することで認定コーチになったり、
各種セミナーに申し込んで数回受講して「準認定」とか「〇〇修了」みたいな
何かしらの肩書を手に入れた人も多いでしょう。
その中には、
過去に何らかの誰が見ても具体的な結果を残してきた実績がある人もいるでしょう。
もちろん、これから認定コーチで活躍していくにあたり、それが必須とは言い切りません。
当然、「過去に実績上げた」、「まだ実績がない」は関係なく
注目したいのは「肩書があるなし関係なく、現在どんな生き方ですか?」ということ。
「こうなる!決めたことに本気でなりたくて居ても立ってもいられないんだ!」
「だから、ゴールに関わるまだ見ぬ領域が認識できて、どんどん邁進してビシビシ体感してるんだ!」
「そしたら、更にまだ見ぬ領域があることを認識できて、また邁進してるんだ!」など
その人ならではの具体的な実践話を聞くだけで、聞き手自身がそれを体感してるような
言語、非言語で強い臨場感を感じるほどの、エキサイティングな生き方をしてることでしょう。
抽象度の高いゴールを設定して邁進してるってことですからね。
「あれ?自分そういう生き方を一切してないんだけど・・・」
「普段の出来事でコーチング理論通りの行動したら、上手くいくことがあるなー」くらいの
認定コーチになる前の現状から考えると、
人生が激変するほどの生き方をしてない人が多い所感です。
「あれ?だったら何で肩書を手に入れたんだっけ?」
「肩書を手に入れようと決意したとき、どのようになれるかもしれないと思ったんだっけ?」
「肩書あったらこうなれるかもしれないと思ったことは、まだ達成の見込みすら見えないとして
現在、少なからずそれになるための動きを感じられるような生き方をしてるっけ?」
はっきり言って、どしどしそういうコーチが増えてきてるんじゃないかと思います。
ずーっとコーチングを勉強し続けるだけ。
このコーチングを広めるためにスタッフとして活動して、居場所感を感じているだけ。
そんな人は、居るかどうかはさておき
そういう状態のコーチは、コーチングが効いてませんね。
効いてないというか、コーチングを受けてないのかもしれません。
それだったら、「こうなれるかもしれない」と思ったことのために行動することを
「やっぱり現状維持がいい」と、ためらうなんてことも理解できます。
学んだことを実践できないのであれば、コーチングを受ける。
もちろん、その時の自分の状態でRASが開き重要性を感じたコーチに依頼する。
そこに、「過去の実績」や「有名人」や「権威」や
「このコーチがいいよ」みたいな「外側からの情報」は、一切関係ありません。
「いや、でも〇〇という理由で、コーチングを受けるのはまだかな」というマインドは、
〇〇という理由をクリエイティブに創出して、コーチングを受けることをアボイダンスして
現状維持を選択した自分を正当化してるんですよ。
最初の方に学んだのではないでしょうか?
人生は激変しないということですね。
「いや、私は講座受講中にコーチングセッション受けたぞ」という人で、
現在、現状維持中の場合は、何ででしょうね?
そのコーチングのことを、「絶対的」だと頑なに信じ込んでるからでしょう。
ということは、「守破離」の「守」ばっかりで、あと全部スコトーマにかかってるので
「自分らしさ」に気づくことなく、セッションを重ねて、
プリンシプルに固められた自分らしくないマインドだからでしょう。
「守らなければならない」「他を参考にしないべきだ」など、マインドがhave toだと
それこそ、無限の可能性を狭めてるじゃないですかね。
自分がどうしたいか?を、「理論はこうでなければならない」などと考えて
want toに正直になれないと、ゴールの臨場感が無いわけですので、実現しないんです。
そういうコーチ多いと思いますので、激変するほどやっちゃうという生き方ではなくて
ホントは現状維持していることを意識に上がったなら、
コーチだろうとスコトーマがある人間ですからコーチングを受ける。
そのことに、クリエイティブアボイダンスによって回避しない。
コーチは常に、「静」と「動」を駆使した、本気の生き方をしてるから
クライアントに「私もこうなれるかもしれない」と感じて頂けるほど魅力的なんです。
最後までご覧いただき、本当にありがとうございます。
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