そりゃそんなこともあるさ

普段から、いつも行っているお店を意図的に変えてみたり
当たり前に選んでいるスタイルを意図的に変えてみたり
コンフォートゾーンの外の選択に意識を向けるのって
自分の現状を劇的に変えるゴールを望んでいるので有効かもしれません。
ちょっとした踏ん切りが必要なので
「そりゃ!」と立ち入って、新たな感覚を体感するわけですけど
そこで、見当違いだったばりの期待外れ感を感じることもあるでしょう。
そこで、「せっかく覚悟を決めて実行したのに、なんなんだよ!」と
反応的な捉え方をしてしまい、「やっぱり、いつものがベストな選択なんだ」と
ますます、「現状が正しい」という思い込みを強くしてしまうことがあります。
クリエイティブアボイダンスが機能しているといっても良いでしょう。
そのとき、良い情動とは言えないです。
「こんなに〇〇したのに!」という反応的なマインドは
ゴールにとって、望ましくない世界が映し出される準備が調うということです。
「努力は報われなければならない」というhave toを実践しています。
「ゴールを達成するのが当たり前」だから、思わずやっちゃうであり、
期待外れを感じても、抽象度高く捉えて「なるほど、こうなるのか」「じゃあこうしよう」と
常にwant toを実践しているということです。
一度の現状の外の期待はずれが、全ての現状の外が期待外れなんだと捉えるようなマインドは、
ぶっ飛んだゴールを設定した人に「データからして君には無理」って言ってるみたいなものです。
データにその人は入ってないし、全ての現状が期待外れという絶対的なデータはないからです。
そう考えると、ドリームキラーは反応的な選択がコンフォートゾーンということです。
期待外れや、一見うまくいかないんじゃないか?としか思えないことは襲ってきますが
自分の設定したゴール=外側からの設定ではなく、内側からの主体的な選択→設定ですので、
「それもまた、自分史上最高であり、物凄く調子が良い」と主体的に捉えられて、
次の選択が主体的に良い情動で出来ます。
コーチング理論を実践している状態をイメージしてみると
まず、「学ぶ」こと自体、大枠で興味があったとしても、重要性を感じるテーマなのか?
何でもかんでも、「このコミュニティでやることだから」と、流れで選択して
主体的に選択することへの意識を削ぎ落していないだろうか?
そうなってくると、崇高な学びの場に見えて思考停止の人を生み出します。
そうなると主体的なアウトプットが出来る人が減り続けるのです。
現状の外に踏み出すって主体的な行動ですし
自分ならではの躍動感のある発信ができるって、とても主体的な生き様であり
プリンシプルに縛られてロボットダンスみたいな一個人にならないということです。
主体的な生き様が魅力的であり、結局実践するのは自分自身であり
主体的な生き方をしているから、良くも悪くも相手から反応を頂けるのです。
そうでない人のコンテンツは、良くも悪くも認識されません。
ちなみに「過去に、こんな主体的な選択をして、こんなことを成し遂げた」
それは素晴らしいことですが、「じゃあ現在は?」と訊かれたら
イキイキと臨場感高く話せるくらい、リアルタイムの主体的な生き方が重要なんです。
本当にやりたいゴールがあるなら、これこそコーチングを実践しているということです。
期待外れや一見うまくいかないんじゃないか?を味わうことで認識できることがあるんです!
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