自己嫌悪から映し出されたゴール

今のマインドだから、そのように映った

私の故郷の商店街は、相当前からシャッター街です。

写真は、駅前商店街を曲がって20メートル進んだところです。

デパートの駐車場の跡地ですが、こりゃもう廃墟です。。。

私が住んでいたころは、まぁまぁ商店街らしい状態でしたが、

そこから急激にほとんどのお店が閉まるようになりました。


去年、同窓会で帰省した時(covid-19が流行り出す数日前)に

改めて今の状態を臨場感高く感じて残念だと思い、

この状態をどうにかできないか?という重要度が高くなりました。

ゴールが先で、方法は全くわからないから、

良いゴール設定の仕方だなと思いました。


「きっと、街の人が現状維持で活気がなくなってしまったんだ」

実家に帰っても父母はテレビばっかり見てる。

「これじゃあ、メディアの意図に流されてしまう!」

同窓会も、久々の人たちで楽しかったけど、

なんかクリエイティブな感じの人がいなかった気がして、

街が衰退していったのは、こういった問題が重なったんだと

どんどん想いが膨らんでいって、何とかしたいと思いました。


商店街の歴史を調べたり、今の街の情報を調べたりして、

そこには、地域を盛り上げようと活動する人も確かにいました。

そのうえで「こうしたらどうだろうか?」なんて考えてましたが、

私も常にコーチングを体現して生きておりますので、

あるとき、ふと気づきました。


「この状態は、本当に問題なのだろうか」


実は、同窓会で帰省した時の私は、

自分自身の現状を「このままではイカン!」と思っていたんです。

そのマインドが、寂れた街を見たときに

「現状はイカン!」というふうに映し出されたのです。

ただ、テレビを視聴している親を見て

自分のマインドが「そんなことではイカン!」というふうに映し出したのです。

同窓会なんて、メインが飲み会みたいな場で

クリエイティブな感じなんて必要ないのに

自分のマインドが「それではイカン!」という風に映し出したのです。


完全に自分の中の「イカン!」という自己嫌悪や不足感から波及したもので

見た目は「街をこうしてあげたいな」という利他的なゴールっぽいですが、

内側の純粋な動機から、ジワっと波及した本当のゴールではなかったのです。


こういうゴールは「それで、どうしたいんですか?」と深く訊かれると

どんどん声質や非言語でドギマギしているのがわかるようになり、

そのうち「あー・・・」と、何も出てこなくなる可能性もあります。

めちゃめちゃRが揺らいでます。


何も出てこなくなって自我が止まっている状態で

「本当は、どうしたいんですか?」と訊くことにより、

純粋な動機への内部表現に書き換わります。


「自分のゴールは間違ってたのか?」みたいなショックと

「そんなこと言われてもわかんないよ!」みたいな葛藤で、

ぜんぜん正常な状態ではいられないと思いますし、

そんな状態で、すぐに自分の中の純粋な動機が見える訳ではありません。

純粋な動機なんて頭で考えて出るようなものではないですからね。

純粋な動機には根拠すらありません。

いずれ見えてきて、純粋な動機にジワっと気づきます。

けっこう苦しいですが、本当のゴールを導くためには重要です。


今回お伝えしたかったのは、

現状の自分の満たされてない状態から「問題だ」と捉えたようなゴールは、

本当のゴールではないということ。

現状の外の利他的なゴールだったとしても、

そんな状態からのゴールを設定している人が多いということ。


「海外で貧困に苦しんでいる人々を助けたい」というゴールは、

今の自分が大嫌いだけど、

ゴールを達成することで誇らしくなり、嫌いじゃなくなるんじゃないか?

そんな動機では、心から湧きたちません。

エフィカシーが高くても、豊かではないですよね。


ゴール設定は、コーチングにおいて非常に重要です。

純粋な動機ですから、すでに内側にあるんです。

そこに気づいて、抽象度高く波及するんです。

あなたも、そんな満たされた「今」の連続を味わえます!

「心の声」を聴きましょう!

最後までご覧いただきまして、本当にありがとうございます。


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