
結局進んでいるので「良い調子」なのだ
まだ見ぬ得たい情動はどこにあるのかを求めて走り続けた。
世界を見る眼鏡に次々にレンズがはめ込まれて、
幾重にも重ねられたレンズで世の中を眺めて、それが当たり前になった。
得たい情動を味わうには必要のないレンズに気づいて取り外していった。
もうすぐ得たい情動を味わえるのではないか?と感じていた時、
私がこれほどまで強く求めていた得たい情動は、
必要のないレンズを通して入ってきた情報によって作られた
イミテーションwant toだった。
目の前が真っ暗になったような感覚。
何があっても現状の外に踏み出し続けて、
様々な体験をしながら成長して、
なんとか成果を出していると思っていたのに!
これがイミテーションなら、
どうやって見つけろって言うんだよ!
頭の中でグルグル考えたのですが、
具合が悪くなるほど苦しいだけなんだ。
「あぁ、ふりだしに戻ったんだ」
また最初からやり直していくのかと思って、
「めちゃくちゃゴールの為に捧げてきたのに!」と
天を仰いで脱力したら、頭の中で映像が浮かんだのです。
浮かんだのは、子供のころに普段から遊んでいた範囲を超えた、
ちょっと遠出しなくてはいけない港の方の商店にある、
ジュースじゃなく、ハンバーガーやうどんの自動販売機でした。
なんかいつもの範囲を超えたところにある得体のしれない物に、
とてもワクワクしたことを憶えています。
それ以来、大人になっても、そこら辺に行くとワクワクするんです。
誰に説明するわけでもなく、誰に承認される訳でもなく、
ただ自分がワクワクするんです。
そこからブワーッと自分の内側が叫び出すように
広範囲にワクワクが広がっていきました。
「あぁ、これでいいんだ」
ゴールって、真のwant to=内側からの輝きからなんだということです。
得たい情動はどこにあるのか?→内側にすでにあったのです。
レンズまみれで内側が見えなくなっていたのです。
外側からの情報で塗り固めたゴールを意識高く追い求めるのではなく、
内側の輝きに気づいて、それが波及することによって、
現状の外のゴールが実現されるんです。
それに気づいたら、レンズがクリアになって世界が素晴らしすぎる。
これに気づくために外側からのゴールを追い続けたし、
ふりだしに戻るというより、進み続けていたということだったのです。
そこで感じるのは、
誰しもがレンズで見た通りの現象を起こしているということ。
レンズに映った通りの生き方を創造しているということ。
「今が不満」「今が辛い」は、
思い込みのレンズで世界を捉えて自分で創造しているのです。
「自分が輝き続けている」のも、
裸眼で捉えて自分で創造しているのです。
それが腑に落ちると
自分を徹底的に肯定するようになって、
現状の外のゴールに向かっている人を導けるんです。
なにがイミテーションなのか?
なにが内側なのか?
そういったことも
現状の外のゴールをイメージして臨場感を感じて、
実際に現実世界で動いて、いろんな目にあって、
絶対そうなんだ!という必要のない自我を手放すことで見えます。
もし、何もしてないなら、嘘か本当かもわからないままです。
理論の都合の良い解釈を、絶対の真実と思い込んでるかもしれません。
自分も満たされて、相手も導いていくのですから、
レンズを通した情報空間で妄想している状態を抜けることからです。
自分で動けない人は、重要性を感じた人に連絡を取る方法はあるはずです。
すべて最高のタイミングで、自分のマインド通りのことが起きてます。
これがよく理解できるようになるには、どうするか?
「する」のであって、「してない」人は
ずーっと同じ場所で膝を抱え泣いていることになります。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。