
「何にもならなかった」なんてことあるか!
「あんなに全力で取り組んだのに」
「あんなに素晴らしいと信じてたのに」
「あんなにお金や時間を費やしたのに」
挫折してしまう理由で、こんなの多いですよね。
信じて〇万円つぎ込んだとか、〇年間必死で取り組んだとか、
「自分にはこれしかねぇんだー!」とエネルギーを詰め込む。
こんな自分の「想い」がこもったパフォーマンスの結果、
「ガラガラ」と、全部無駄だったかのように崩れていく。。。
この比喩としての「ガラガラ」が、表情や姿勢やマインドに表れて、
無力感に覆われながら、物凄いショックで「私なんて・・・」と思う。
セルフトークのコントロール?
今日ばかりは無理だわ・・・
「こんなにつぎ込んだのに、何にもならなかった」
これにショックを受けているということは、
「何もならなかったという結果になるなんて、神様仏様ひどい!」
そんな風に自暴自棄になっているかもしれませんね。
「魂込めて取り組んで、何もならなかった」なんて
そういったことを乗り越えた後の景色を実感したことがある
私からしてみたら「おっ!良かったじゃん!」ってことなんですね。
そりゃ人間なんで、しばらくはショックを引きずるでしょう。
私からしてみたら「素晴らしい未来になるんだから、今は味わうがいいさ」ってこと。
そりゃ人間なんで、「もうダメ」と悲観的にゴール達成を辞めると言い出す人もいるでしょう。
私からしてみたら「それはやっちゃダメでしょう」ってことです!
ショックを味わい切って、前を向いてください。
前を向いて歩き始めると、だんだん見えてきます。
何が見えるかって?
「結局何もならなかった」という結果のおかげで、
実は新たな見解や感受性を得ていて、抽象度が劇的に上がっていること。
それは「全力で取り組もう」と志したときから、現状の外に移行しているということ。
それは「全力で取り組もう」と志したときに想像した自分に近い状態へと成長してるってこと。
ゴールを下げずに、ショックを乗り越え進むことで、
「何もならなかった・・・」と評価したときに「もう無理だ」と思ったことが、
「無理じゃないんだ」という情報が入ってきたり、
「あれ?今ならできる」と成長を体感したりすることになるんですね。
「何にもならなかった」のではなく「何とかなるために進んだ」ということだったのですね。
「何とかなるために進んだ」のに、悲観的に辞めたら進んだことになってないんですね。
どーでもいいですけど、
「ドラゴンボール」で、サイヤ人が死にかけて、
その後体力が回復したら、戦闘力が飛躍的に上がってるんです。
実際、人それぞれ「あー、ダメだった」というような出来事があって、
ショックを受けるというのがマジで辛いのは、味わったことがあるのでわかります。
でも、まともな精神状態じゃなくて、何もかもがイヤになってしまう状態から
何とか前を向いて歩きだすことによって、
例えば、人の痛みが解ったり、今あるすべてに感謝したり、
スコトーマに隠れているものが見えたりすることを体感して、
結局ゴール達成には、あの「何もならなかった」という解釈によるショックが必要だったと、
臨場感高く体感してほしいんです!
あっ、全力全力って言ってるように感じるかもしれませんが、リラックス必要ですからね。
エフィカシーが高かったら、
そんなことが起きても、「なるほど、これじゃダメなのか」と学習して、
「絶対ゴール達成できるもん」という感覚で進むのでしょうけど、
そんな人に向けた情報発信なんて必要ないですからね。
ゴール達成を悲観的に途中で辞めないで頂きたい。
何にもならないことは「あり得る」ことですからね。
覚悟を決めるというのもそうだし、それは経過でしかないんですから。
「目的的思考」ってやつですよ。
いつまでも自動追尾ミサイルのごとく向かい続けますよ。
コーチング理論に則ってゴールに向かうと、
エフィカシーが上がるからショックなんて受けないというのも確かにそうですが、
所感として、ショックを受けることを避けて現状維持する人か、
やってみたけど、そこまでエフィカシーが上がらずに、
どこかでショックを受ける人の方が多いのではないかと思っています。
辞めないで進んだ先も見たことがないのに、
辞めるという現状維持の判断をするんじゃねーってことですね。
ゴール達成って、現状の外の景色を物理世界で臨場感高く見るってことなんだぜ!
最後までご覧いただき、ありがとうございます。