
not normalに正直になってみよう!
「あー、自分ってnot normalだなー」って思いますか?
「いや、実は普通の人だ」という人も居るかもしれませんし、
「いやー、オレってこういうところがnot normalなんだよねー」と
思い当たる人も多く居ると思います。
お馴染み「not normalは褒め言葉」!
この言葉に影響受けちゃったら、
「自分はnot normalだ!」と言いたいですよね。
コーチとして24時間365日臨場感高く生活していると、
抽象度が上がって見えてきたことがあります。
どういうことでしょうか?
正直な話、生きていく上で心のどこかにあると思うのですが、
どこか自分の中で「私は他の人とは違う」と思われたいというのがあって、
その想いから、「個性をアピールする」という人も出てきます。
SNSなんかでいろんな人のプロフィールやら写真やら投稿やらで、
様々な個性を感じている事だろうと思います。
世の中の流れを見ても、個性が優位に働く場合が多くなっているのは確かです。
普段生活していても、
オープンカフェで洋書読んでる人とか、
行間空けてポエムかましてくる人とか、
個性的な恰好の集団で歩いてる人とか、
出くわしますものね。
これ、良い意味でも悪い意味でも、いずれ本心がバレます。
非言語でわかっちゃいます。
一瞬注目されることもあるかもしれませんが、
すぐに見限られます。
特に、直接対面するとすぐにわかります。
誤魔化すことは出来ないのです。
「こんなnot normalな状態を心から表現できて、それが溢れるほど ときめくんだ!」
これだったら、素晴らしいnot normalなんです。
「普段そんなんじゃないけど、ある瞬間に”えいやっ”と行動したら、心が震えたんだ!」
こういうのは、素晴らしい感覚を発見しましたね!
これは、他人の価値観など関係ない、自分の内面から発せられるものですが、
それが言語でも非言語でも相手にビシッ!と伝わりますし、
発する波動が、自分ならではであり、型にはまらない魅力的なものになります。
もちろんすべての人に突き刺さる訳ではないですが、
必ず、あなたのnot normalに反応する人が現れます。
「うぉー!自分サイコーだー!」というようなnot normalからの感受性が、
結果として誰かのハートをがっちり掴むのです。
それに対して、「こういう個性を他人に見られて認められることが目的」とか、
「無理して(他の人がやってるから)not normalを演じている」など、
こういう場合も、非言語で相手に伝わりますし、
長期的に見ると、自分が無理しているので辛くなったり、
いつまでも勘違いをし続けることになります。
発する波動も誰かのコピーになるし、ずーっと続きません。
not normalとは、「装い」ではないということです。
not normalは、当然一つだけではありません。
「動」が溢れ出るnot normalもあれば、
「静」をジワーっと感じられるnot normalもあります。
昨日のブログと同じような結論ですが、自分の内面からの輝きです。
not normalと言いつつ、実は他者からの承認欲求が源泉なのではないか?
ここに正直になって、ゴールに必要ない他人軸なら自分と向き合って、
手放すか?継続するか?設定したゴールと相談してみてください。
そして、他の人がどうとか意にも介さない自分のならではの輝きの波動で生きて、
やることやるだけで波及しちゃうような「生き様」を体現しましょう!
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
