
すべてが幻想です
相方が隣の部屋で、自分が手伝ってるミュージシャンの動画編集をしてます。
彼の楽曲が聴こえてくるわけですが、とても良い曲だなと思います。
動画であれ、ライブであれ、いろんな人に届けばいいなと思います。
いまのところ、彼のライブを見に来るお客さんは多くないので、
ライブ終わった後なんかに、話しかけに行きやすい状態です。
もし今後どんどん人気が上がっていって、
大きな会場でたくさんのオーディエンスの前でライブするようになったら、
いまのところ、ライブの後に半分友達感覚で話しかける人たちは、
きっと話すこともできないだろうから、どう思うんだろうな?
「あぁ、あんな客入りだった彼が、すごくなったもんだな」と微笑ましく感じるのかな?
中には、自分のもとから離れていったように感じてしまい、
寂しいくらいならまだしも、「今頃聴き始めた人たちは何もわかってない!」とか言って、
批判したり、彼の活動を邪魔したりする人も居るのではないかな?
私もバンドマンだったので何度か見たことがあるけど、
あるミュージシャンのファンであることに依存してて、
ある日、自分から離れたような流れになったら、足を引っ張り始める女性ファンいたな。
そのコミュニティに依存しすぎると、
それって、とてつもなく強固なコンフォートゾーンになりますよね。
そんな中で、そのコミュニティから活躍し始めた人が現れたりして
コミュニティのコンフォートゾーンから外れた人が現れたら、
ぞっとするほどのドリームキラーと化す可能性があります。
半端じゃなく違和感が強いんでしょうね。
超陰湿な非言語が、雰囲気としてビンビン伝わり恐ろしいです。
または、1990年代を席巻した超絶大物プロデューサーと交際していた女性歌手のように、
一気に一般的なタレントから、歌手として時代を揺るがすスターにのし上がり、
後に交際が終了して、一気にコンフォートゾーンが変化したことによって
依存からの喪失感で体調とマインドに不調を来たしたりするケースもあります。
今のコンフォートゾーンも、設定したゴールも、結局は「仮の役割」です。
今のコンフォートゾーンは、これがベストだ!という仮の役割を自らに与えてそうしてるし、
ゴールも、これはベストだな!という臨場感の高いイメージを仮の役割として設定したのです。
本当は、幸せは幻想でしかないのです。
その幻想状態を無理やり作り出すために、「仮の役割」を各々が自らに与えているのです。
自らに与えたものなので、他人にそれを強制しては争いの原因になるのでやってはいけません。
幻想であること(空観)を知りつつ、仮の役割(仮観)を持たせている。
それらをどちらも捉えている「中観」が必要ですね。
中観で捉えていれば、陰湿な追い込みや自ら体調を崩すなどしないということです。
コミュニティの中で、自分たちが思っていることと違うことをした人を追い込んだりするのは、
「仮」のものを「実」と勘違いしている「実観」であり、
それを他人に押し付けているのは、戦争を仕掛ける大国の論理と同じですよね?
コーチング理論を学んだ人は、そんなことしないんですよ。
悪意のドリームキラーが居なくなって、
善意のドリームキラーにはゴールを言わない。
そうなることで、皆がもっと自由に軽やかにゴールへの選択ができて、
純粋な動機を邪魔されて悲しむ人が居なくなるといいな。
まぁ、悲しみも幻想だから、悲しまずにゴールへ向かうといいんだけどね!
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
