
生きた情報発信とは?
帰省してたのですが、昨日実家から戻ってきました。
今回は不要不急ではない用事だったので、
地元の友達なんかにも一切伝えずに故郷で過ごしました。
家族は世間体からか、他県ナンバーの車みたいに、
東京から帰ってきてることを地元の知り合いに見られたくないようで、
地元をウロウロせずに、海を見に行ったり山を見に行ったり
家族と楽しいひと時を過ごしましたが、ずっとレジャータイムではありません。
実家といっても、Wi-Fiも無ければテレビばっかり見てるし、
地元の友達と会うことも無いので、時間を持て余してしまいました。
普段見ないテレビは新鮮でしたし、動画なんかも見ましたが、
気づくと、無作為に情報を受信している状態に陥っていました。
ずっと同じような内容を違う番組で伝えているテレビを見たり、
雑多な情報を扱う動画を関連動画ループでずっと見ていたり。
これは役立ち情報を得ているようで、思考停止に近い状態です。
自分の設定した未来から流れてきた今を生きているとは言えずに
自分軸をちょっと脇に置いて、他人軸の情報を無意識に刷り込んでいます。
これは臨場感の高いリアルな他人の影響を浴びることになるので、
コンフォートゾーンが他人側に寄ってしまいます。
自分の未来の記憶のイメージやwant toを曇らせることになりますし
自分のゴール側へのコンフォートゾーンに移行することに注力したいのに
変な方向に寄り道してしまうことになるでしょう。
「でも、いろんな知識を得ることは良いことじゃないか!」
んー、広い知識って素晴らしいような見てくれをしてますが、
全然知らない人のルックスだけを見て「かわいい!」と言ってるようなものです。
ルックスだけでは、二人が結ばれて幸せになることに活かしきれません。
自分のゴールからの重要性による認識でなければ「知ってるだけ」です。
知ってるだけで活かせないのです。
なぜなら「ゴールが先、方法は後」だからです。
コーチング理論の書籍を無作為に読みまくっている人や
Newspicksに出演してる人たちの話を無作為に取り入れてる人は、
情報受信に依存してるような状態になりやすく、
せっかく取り入れた知識を情報発信するにも、
知識のみの横流しのような情報発信に留まってしまいます。
無作為に質の高い情報を受信しているだけの人と話すと、
ワクワクするような情動を乗せて話せない場合が多いです。
ワクワクする情動は高いエネルギーなので、
それが乗らないと、残念ながらつまらない話になります。
テクニックは一級品だが、ぜんぜんグッとこないバンドみたいなものです。
自分の設定したゴールから流れた今で味わった事って、
ものすごい気持ちを乗せて言語だけでなく非言語でもビンビン伝わりますもんね。
自分の本当のゴールに気づき、内側から輝きが溢れ出して、
現状の外側に飛び出し続けていると、ある瞬間から情報受信が激減します。
そして情報発信も、発信内容が間違ってないか書籍を調べながら書くような
自分の溢れるエネルギーに満ちてない文章にならずに、
「今、ここ」の最高の自分のエネルギーを保存する生きた文章になります。
自分のゴールを設定して重要性が上がった認識で見えてくる情報は、
こういった誰かの写しではない「生きた文章」なのであり、
無作為ではそのエネルギーをすべて受け入れられないのです。
本気のエネルギーの発信と無作為な受信では、エネルギー循環しないですからね。
無作為に他人の軸で情報を受信しすぎると、
気づかないうちに、自分のコンテンツに介入される可能性があります。
自分の軸を脇に置いてるし、未来側から思考してるとは言えないので、
極端な話、政府のコロナ対応に怒ってる人に過剰に同調してしまったり、
情報発信側の利益のために、発信側のコンテンツを植え付けるような
下手をすると自分の本当のゴールを変える介入をされる場合があるので注意が必要です。
今回の帰省で、自分もその時の状況に流されて、
無作為情報受信で時間を経過させてしまうことを実感しました。
これ、コーチング理論を必死で学んでるのに
目に見えてゴールに近づいてないように感じる人に知って頂きたい。
情報受信側ではなく、生きた情報を発信する側のステージに登るのだと。
そのステージに登ったうえで「場」を創ることにより自由を実感し始めるのです。
自由とは「頑張る」だったり「時間拘束」だったり「ファイナンス」だったりします。
私は、そのサポートをすることに特化しているコーチ活動をしております。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。

