
どの「幻想」に臨場感を感じるかの選択
夜寝る前とか、お風呂に入ってる時とか。
何気ない考え事をしていて「ふっ」と未来に対して不安が襲ってくることありませんか?
下手すると、雪だるま式にどんどん悪い方向に考えを巡らせて、
「あーっ!」とか独り言みたいに声に出してしまうことがあるかもしれません。
この不安、マインドに持ってくると、マイナスの方向にエネルギーが集中してしまいます。
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「ふっ」と考えた時に、これからの未来をブワっと描いたわけで、
あの「不安」特有のイヤ~な感じが身を包むということは、
まだ起こってもいないことだし、起こると確定したことでもないのに、
本当に未来で起こっているような臨場感をビシビシ感じてるわけです。
自分のコンフォートゾーンは、臨場感を強く感じた方向へ移行するので、
「そうなりたくない」と思っていても、臨場感が高い方へ引き寄せられます。
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この引き寄せられた「不安的中」の結果に直面した時に、
「あー、もうダメだ・・・」となってしまったら思考停止ですが、
「その不安な状況を一刻も早く抜け出したい!」という想いの強さがあれば、
火事場の馬鹿力のような緊急性の高い状態からのエネルギーを一挙に放ち、
「なんとかする」という状態に持っていけます。
この「何とかなった」という経験が、ある意味成功体験になり、
次に不安が襲ってきても「いや、なんとかなるでしょ!」と不安の臨場感を打ち消して
「不安的中」にならない未来に臨場感を高く感じる可能性もありますが、
多くの人が、また「今度こそヤバいんじゃないか?」という不安に臨場感高く襲われて
また「不安的中」になり、火事場の馬鹿力で乗り切るを繰り返すような、
「不安→的中→力技」のループから抜け出せないこともあるでしょう。
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「あー、もうダメだ・・・」となったら、「もうダメ」に重要性が高くなり、
「もうダメ」な情報が優先的に認識されるので、「もうダメ」な流れになるのですが、
「何とかなる!」となったら、「何とかなる!」に重要性が高くなり、
「何とかなる!」な情報が優先的に認識されて、いずれ何とかなります。
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何とかなった経験も非常に重要ですので、有用なのですが、
まず、「不安」に臨場感を感じるというのは「幻想」でしかないと理解しましょう。
また、「こうありたい未来」に臨場感を感じるというのは「幻想」でしかないと理解しましょう。
だけど、臨場感を感じている方向に、自分の世界が移行していくということを理解しましょう。
ということは、どうとでも描ける「幻想」の中から、どんな未来に臨場感を感じるのか?
「自由自在」に選択できるということです。
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まぁ、「不安な未来」より、「自分がこうありたい未来」を選択したい事でしょう。
だから、「不安な未来」が臨場感高く襲ってきても、その幻想を選択しない。
常々、「自分のこうありたい未来」を臨場感高く描き続ける(選択し続ける)。
「あー嬉しいな」「あー楽しいな」「あー誇らしいな」などの情動の臨場感!
「うわぁ!やばい!」みたいな臨場感とは真逆と言っていいのでは?
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そんな「こうありたい未来」に臨場感を感じているので、
その未来から時間が流れてきて、現在の自分のあり方に反映するわけですし、
その自分のあり方が、過去に流れていきます。
だから過去は関係ありません。
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「不安的中」で窮地に陥って、火事場の馬鹿力で「何とかなった」。
それはそれで、それを体験したかったから臨場感という「自分の決定」があったわけだし、
「こうありたい未来」に臨場感を感じて、理想的な自分のあり方に反映した。
それはそれで、それを体験したかったから臨場感という「自分の決定」があります。
どちらでもよいのです。
その中で、「コンフォートゾーンの条件は、臨場感が高いこと」ということが腑に落ちていて、
どんな未来を描き、選択するのか?という「無限の可能性から」の選択肢を持って、
あなたが「自由自在」に「決断」すればよいので、大丈夫です。
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「わかっていても、不安→的中→力技の繰り返しになっちゃう・・・」という場合は?
私の立場で提供できるのは、「そういうときこそコーチにコーチングを受ける」ということ。
コーチを選択する自由があるので、「この人!」というコーチを選択して、
「自分のありたい未来」をサポートして頂きながら、マインドの使い方が上手になり、
実際に未来を切り開くことを体現するということを考えれば、
コーチングの価値を理解できることでしょう。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。

