
生き方が様々な「形」として表れる
とても悲しい始まりですが、母方の祖母が先日亡くなりました。
98歳まで生きたので、誰かと比べる必要もないのですが、「大往生だった」と母が言っているので、その通りなのだと思います。
私は実家で父方の祖父母と生活していましたので、母方の祖父母には車で1~1時間30分くらいだったかの目の前に山がそびえ立つような田舎の住まいまで、定期的に父母と行くことで可愛がってもらっておりました。
母方の祖母は、いつ何時でも「ピシッ!」とした背筋で正座しており体も丈夫で、でも物腰柔らかい優しさが言語、非言語で伝わるような、「だりー」とかいう言葉の真反対で佇んでいて、子供のころにはそんな言葉知るはずもないですが、正に「凛」として生きている印象が思い出されます。
入院していた時は、昨今の状況から家族であっても面会ができない状態が続き、亡くなる数日前に、私の母ともう一人面会を許可頂いて、会ったそうです。
何かを伝えようと口を一生懸命動かしておりましたが、何を言っているか聴き取れず、「うん、うん」とうなずいて、母からも言葉をかけたりするのが、最後だったそうです。
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昨日お葬式で、私を東京から帰って来させるのは、covid-19に過敏な田舎の方々には良くない情報だということで行けなかったので、今日母に電話しました。
母はお葬式では、めっちゃ激しく泣いたし、ここ最近も起きるとさめざめと泣くともことで、「泣いてばかりで、おばあちゃんに心配かけたくない」と言っていました。
「お別れになったことは事実だし、それは悲しいことだから、悲しいんだったら泣くといいよ」
「お別れを悲しんで泣くのと心配かけないのは別の話だし、こっちで普段明るく楽しく笑って過ごしていれば、おばあちゃんが心配することはないよ」と励ます自分。
お葬式でのお別れの時、体を洗って顔をメイクしてもらったらしく、「今にも目が覚めて起き上がってもおかしくないくらい綺麗だった」とのことです。
戒名だったか法名だったか忘れましたが、「今まで苦労して生きてきたけど、これからも幸せになりますよ」という意味の名前だったそうです。
母は、祖母が苦労して育ててくれた年月があったことを強く憶えていて、なんかお坊さんが、そのことをわかってくれて、これからも幸せになるという名前を付けてくれたんじゃないかというくらいピッタリな名前だと言って嬉しそうでした。
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私は、その言葉を聴いて強いエネルギーを感じました。
私はその苦労時代を知り得ませんが、そういった状況を「母をしっかり育てたい!」というwant toで育て上げて、人格としても成長したからこそ、あの「凛」とした生き方が、「ピシッ!」とした姿勢だけで伝わるようなステージまで達したのでしょう。
その「凛」とした生き方のエネルギーが、亡くなってしまったとしても、プロの手で顔をメイクしたからというきっかけはありますが、今にも起き上がりそうなくらい美しくそこに在り、
「凛」とした生き方のエネルギーが、 お坊さんにも波及して、戒名という「言語と意味」という形でそこに在ったのでしょう。
確かに私は直接お葬式に行ってないので実際顔を見ていないですが、子供のころに感じた「凛」という臨場感から、容易にそうであろうと理解できます。
そんなことを母に伝えていたら、電話越しに自分も泣いていました。
毎日のように一緒に生活していたわけでもなく、母ほどの思い入れがある訳でもないのですが、母と祖母のそういったエネルギーを感じ取り、心に響いたのでしょう。
書くまでもないですが、祖母は「凛」としなきゃダメだと自分に言い聞かせて、必死で「凛」としていたわけではなく、「自分はこうありたい」から「凛」として生きていたのです。
コーチングにより、自由意思で選択するマインドの使い方を手に入れるという素晴らしさが私にとっても非常に魅力です。
それと同時に、自分の生き方!エネルギーが佇まいだけで波及するような生き方!をゴールとして設定し、そのゴール達成のイメージに臨場感を感じられる情動記憶が、おばあちゃんから私への贈り物であることに感謝の気持ちが絶えません。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。