言語化により陳腐になる情動

思い出, 写真, 古い, ボックス, ビンテージ, グランジ

琴線に触れる部分は言語化が難しい

半年に一回くらい「ビートルズ」が聴きたくなります。

中学2年生の時に、友達の家で遊んでるときに聴かせてもらって出会いました。

なんか当時は(今もあるのかな?)家電量販店に行くと、古いアメリカンポップスの海賊版CDが980円くらいで売ってるコーナーがあって、その中で「ビートルズ」の初期の名曲を詰め込んだ1枚を「なんか洋楽とか小説で読んでカッコイイと思った」という興味本位で友達が買ったとのこと。

私も幼かったですし、CD全盛期だったので、それまでいわゆる「オリコン1位」とか「月9のタイアップ曲」みたいな大衆音楽を何の疑いもなく聴いてたのですが、「ビートルズ」を聴いてるうちに「なんて言えばいいかわからないけど、ものすごくいい!」と感じて、二人で盛り上がりました。

そこから、彼とは学校内で会ったら「シーラブズユー イエー!イエー!イエー!」とか歌ってキャッキャしたりなんかして、その後近いけど別々の高校行って、お互い違うバンド組んで、お互いのバンドが上京して、私のバンドのドラムが脱退して、少しして彼のバンドも解散した流れで彼はドラムなので私のバンドに加入して、今も続いているという腐れ縁になってます。

兎にも角にも、私にとって「ビートルズ」を聴いて心を揺さぶられたときから、「not normal」という生き方になったというのは、間違いありません。

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上京して、そんなに経ってないころに、彼と一緒に池袋で開催されていた「ビートルズ展」に行ったことがあります。

そこでは、「ジョンが誰々に送った直筆の貴重な手紙」とか「メンバーが映っている何かの記念の写真」とか、様々な展示物が並んでおりました。

全て見終わって、外に出てから2人で話した会話は「そういうことじゃないよな」ということ。

ただ単に我々の期待値と違ったということであって、主催者側はマニアにとっては素晴らしい展示会を開催してくれたわけですが、改めて私は「ビートルズ」の「曲」が好きなんだなということに気づきました。

私にとって重要なのは、心が揺さぶられるから大好きなのであって、アイドル性とか当人に関わるものという付加価値は必要ないのです。

もちろん、「ビートルズ」のライブ映像なんかを見てると、女性ファンが「キャーキャー!」と、とても演奏を聴いてるとは思えない歓声を上げていたり、失神してしまう女性もいたりして、アイドル性とか当人に関わるものという付加価値に重要性を置いてる人も一定数いる訳ですので、「ビートルズ展」も成立するわけです。

あとは、例えばアイドルのCDを何枚も買うことで「握手する権利」を得られるなどの「同じ内容のものを何枚も買う」という「曲」という価値を覆すような付加価値を提供して成立している分野もあるので、重要性の違いなだけで、心を揺さぶられる部分が違うということです。

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では、「ビートルズの曲のどういったところに心を揺さぶられたのですか?」という質問を受けたとします。

なんというか、うまく答えられません。

私の思い出の奥深い部分に鳴り響いているというか、自分の切ない部分にいつも居るような感覚というか、言葉を並べても「100%この答えでOK!」というのは出てきません。

たとえ言語化ができなくても、心を揺さぶられた情動に染み渡っていることって、実はたくさんあって、だからこそ言葉だけでなく、映像と情動も大切なんだということがわかります。

言語化する力は、ビジネスの分野や人間関係など多くの場面で大切であると思います。

私も、言語化する力がもっとあるといいなと思っています。

でも、内側の心を揺さぶられることで、逆に言語化した方が陳腐になってしまうことってあるわけで、「言語化できないことが自分の実力が足りない」と思う必要のない部分ってあるのです。

そこを、ノンバーバルとか非言語とかで表現しておりますが、具体的に内容が理解できる表現ではありません。

それでいいんです。

私も以前、コーチングを受けたときに、感じたことをすぐに言語化しようとゴモゴモ伝えようとして、うまく伝えられなくて、「非言語で感覚として理解していることで言語化する必要がないことってある」と気づいたことにより、気持ちがスムーズになった思い出があります。

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「three S coaching」の「 three S 」は 「sounded in someone’s situation」の「3つのS」から名付けました。

「誰かの状況に聴こえた」これは、先ほどの「ビートルズの曲のどういったところに心を揺さぶられたのですか?」という質問に対する「私の思い出の奥深い部分に鳴り響いている( sounded in my situation)」という精一杯の言語化した答えに通じています。

私のコーチングは、もちろん対話セッションですので「言葉」も大変重要であり「言葉」により「あーなるほど!」と思い込みが消えたり、日々のアファメーションとして「言葉」は欠かせません。

それと同時に、「あーなんて言えばいいかわからないけど、自分ならできると思えた!」とか「なんて言えばいいかわからないけど、今感じているこの情動が溢れるような自分でありたい!というゴールが見つかった」というような、イメージによる「映像」や「情動」による臨場感に心が揺さぶられるようなコーチングセッションをすることが理念です。

過去は関係ないですが、私がビートルズに感じたような「情動」は、ゴールのイメージの臨場感を醸成することに役立ちます。

クライアントの素晴らしい未来だけではなく、様々な方たちに貢献できる豊かで広いマインドを提供していく所存です。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。



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