通常に回復することの喜びとゴール達成時の感謝

コンサート, 音楽, 群衆, Dancings, ダンス, けしかけ、モッシュピット, モッシュピット, 煙

文化的側面による豊かな情動記憶

不要になったものの整理をしました。

サブスクリプションが浸透した現在において、その時は必要性を感じて会員登録したことでも、後に必要なくなり(コンフォートゾーンが移行し)、気づいたら何もしてないのに課金し続けているものがありました。

「管理不足」といえば、その通りなのですが、「今この瞬間から必要ない!」という意識的な実感ではなく、「そういえば使用してないな」という無意識レベルの経過のパターンや、「知り合いと一緒に加入したので脱退しづらい」などの「どう思われるか?」みたいな承認欲求による経過パターンなどがあります。

これらにおいては、過去の産物で自分のキャパシティを埋め尽くすと、新しいものが入ってこないという感覚から、定期的に過去の不要物を棚卸する機会を設けることと、他人からよく見られたい理由で、過去が自分のマインドに蔓延って、自分の未来への可能性が狭まっていないか?を考えれば、「自分の本当のwant to」がはっきりするので、want to通りにパフォーマンスすれば、未来が切り開かれます。

話を戻して、過去にiPhoneで撮影した写真や、どっかからダウンロードした動画などを整理してると、自分たちの過去のライブ映像が、何個か出てきました。

まぁ自分たちも全力で歌ったりアクションしたりしてるし、見ているオーディエンスも拳を上げたり一緒にシンガロングしてるし、令和2年の2月あたりから「常識的にやってはいけない」ことになろうとは微塵も思っていない空間でした。

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令和2年の2月あたりから、スタジオ入って練習するのも「やめておいた方がいいね」という流れになったし、企画していたライブも中止にして、ライブハウス側にキャンセル料が発生するかドキドキしながら交渉しに行ったりしました(結局この情勢なので発生しませんでしたが)。

そこから、ほとんどバンド活動をしていないという状況ですが、自分の「趣味」のゴールに対するパフォーマンスが失速しただけで、音楽を聴くことは好きだし、今後ライブをすることを諦めたわけでではないので、だんだん慣れてくるものです。

そして、また自由にライブを行える状況になって、その場に集まったときに、慣れてはいたがインターバルが長かったので、ライブが当然だったころよりも、グッと込み上げてくるものがあるのだろうか?

自分の予想としては、個人個人の「ライブができない状態」に対する期間の長さと現状の違和感によりけりだと思います。

私はこの状況に慣れている感覚がありますので、期間が長ければ長いほど「ついにまたライブができる」という思いは強くなりますが、魂から「うぉぉー!」と叫ぶような感覚はないかもしれません。

本当にライブが好きで、しょっちゅう見に行ったり、そこでの仲間たちと楽しいひと時を過ごしていて、人生の大部分を占めていた人は、今ライブが思うようにできないことに相当違和感を感じていると思います。

そんな人が、またライブが通常の形で出来るようになったら、泣いてしまうほど魂からの嬉しさが湧き上がると思います。

文化的な側面は、その時の状況や、人々のマインドが豊かな時代にこそ発展しやすく、そこで巻き起こる様々な情動記憶は、後のwant toのゴール設定のイメージと臨場感に非常に役立ちます。

そういう観点からも、多くの人が無機質な日常を過ごさず、自分の無限の可能性にワクワクする感覚を醸成するためにも、趣味のゴールを持ち続けて、ゴールありきのパフォーマンスを皆がしてほしいと思います。

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さて、先ほどの内容で「現状の違和感が強いほど、元に戻ったときの喜びのエネルギーが強い」という話をしました。

例えば、当たり前に食べてたのに、病気などで急に食べれなくなって、長い期間を経て回復して食べた時の「泣けるほどの美味しさ」に対しての喜びのエネルギーとか。

楽しく仕事してたのに、人事異動で劣悪な環境に配属になり、長い期間神経を擦り減らす思いをして、また楽しい環境に戻ったときの「あの頃辛かったー!」という喜びのエネルギーとか。

究極的なことを言うと、笑顔溢れる暮らしをしていたら、ある日を境に戦争が勃発して、長い期間、死と隣り合わせの生活を過ごしたのち、終戦をむかえ、ここから戦争のない生活が始まるんだという状態の「生きていること」への喜びのエネルギーとか。

当たり前というのは無意識になりやすいですが、こういったことを日々考える時間を設けると、「今、ここにある幸せ」をマインドに染み入るように感じることが出来るのではないでしょうか?

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では、「自分のwant toのゴール」を達成した時の喜びは?

これは、当たり前だった現状が、「これっておかしいんじゃないか?」というきっかけで違和感になり、そこから人間の無限の可能性に気づくことで、ゴールを設定して、イメージや臨場感を感じてコンフォートゾーンが移行することでゴールを達成しているのが当たり前になってる(ゴールを達成するちょっと前から新たなゴールに更新している)ということです。

先ほどの喜びのエネルギーは、「通常→不自由→通常に戻る」ので、通常の味わいが深まるということですが、 「自分のwant toのゴール」 に関しては、「通常に違和感→ゴール側へコンフォートゾーンが移行→ゴールの状態が当然」という流れですので、最初に設定した時のゴールを達成するころには、エネルギーの高い喜びというよりは、「どんどんゴールを更新し続ける自由意思の人生に感謝」というように、静かな感謝がある状態です。

イメージしている時は「あのゴールを達成したら叫んじゃうほど嬉しいだろうな」というワクワク感があるのですが、実際達成したときは「自分はゴール側の人なのだから当たり前」ということです。

そういった意味でも、ゴール側の場所に行ってみるとか、ゴール側の人に会ってみるとか、ゴール側の振る舞いをするというのが、ゴール達成を加速させるのかがわかりやすいですね。

でも、今日言いたかったことは、文化的側面とマインドの豊かさの関係によるエンターテイメントの必要性です!

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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