
「こうなってほしくない」は脳にとって「こうしよう」
今日は前職の仲間たちが、独立して立ち上げたカーコーティングショップで、車を洗車してもらって、そのまま行く当てもなくドライブした。
運転が好きなんですよね。
車内で音楽をかける。
ここで、他人の目にどう映るかが極端に気になってしまっている人は、「大きな音量で聴きたいけど、「うわ!あいつ爆音で聴いててイタイ奴だ」と思われるのが怖いから低い音量にしよう」と判断すると思います。
私はバランスよく自由ですので、「他人にイタイ奴だと思われたって、この場合実は案外平気だと知ってるし、でも音量デカすぎて、道行く人たちを不快にさせないくらいの音量にしよう」と判断できます。
様々なジャンルの音楽を聴く私ですが、今日は(というか前回横浜行った時もそうだったけど)パンクバンド「Dillinger four」の「CIVILWAR」(ぜんぜんメジャーなバンドではないです)を聴きながら運転。
なんか「あー、最近のパンクバンドはオシャレな感じのバンドがまだ居るけど、インディーズというワードが広く知れ渡ったあたりの盛り上がりってもう無いよなー」と感じました。
「ヴィジュアル系」のバンドも、もうメディアでほとんど見ることが無くなったように感じますが、そういった流れと似た感じで、無くなっていくのかな?と思い、「そうなってほしくないな」と思いました。
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「はっ!」と気づきました。
「そうなってほしくない」と思っているということは、「そうなってほしくない状態をイメージして、イヤな気持ちを臨場感として感じている!」ということです。
脳は、思い描いた映像に向かって進み始めます。今、自分の中で支配的に映像化しているものは、「ドミナントピクチャー」と言って、ドミナントピクチャーに向かって進んでいくことを「目的的思考」といいます。
不安や怖れに支配されているということは、起きてほしくない状態がドミナントピクチャーとして見ているので、それが目的と思考して向かってしまうということです。
あー、そういえば、「そうなってほしくない」と無意識レベルで思ってることってあるんじゃないか?と考えたら、重いことから軽いことまで、何個か出てきました。
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ドミナントピクチャーが駆け巡ってる状態をどうすればよいか?
「こうなってほしくない」を思わないようにしよう!としても、脳には現状に引き戻す機能があるので、戻ってしまいます。
ドミナントピクチャーを置き換えた映像を支配的映像にするといいです。
「こうなってほしくない」という映像ではなく、「こうなったら嬉しい(楽しい、気持ちいい、誇らしいなど)」という映像に置き換えるのです。
置き換えた映像のことを「リプレイスメントピクチャー」と言います。一応。
「こうなったら嬉しい」という映像で埋め尽くされるとワクワクにも繋がりますので、マインドとしても彩り鮮やかです。
皆さんも、自分の中で、「こうなってほしくない」という映像に支配されていることはないか?意識に上げて見て、「こうなったら嬉しい(だからこうする)」という置き換えた映像にして、実行してみてください。
「あーあ、やだなー」がドミナントピクチャーである場合、良いパフォーマンスを発揮できるとは思えませんね。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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