
賛同している組織も諸行無常だという視点
ほとんどの人が何かしらの組織の中にいると言っていいでしょう。
組織の理念に賛同している、やりがいがある、尊敬している人がいる、勉強になる、人間関係というかチームワークというか雰囲気が良いなど、居心地よく活動している人もいるでしょうし、その逆もあります。
「お客様のために」という理念を掲げながら、実情はお客様の満足よりも利益重視の気合販売している、嫌々遅くまで残って仕事をしている、理不尽な上司に納得がいかない、いつもやっていることのループ、お互いの不信感を話し合うこともなく非言語の怒りを込めてコミュニケーションしている。
下手したら組織で不正が常態化していることに盲目になってしまっている末期レベルの人もいらっしゃるでしょう。
上記は会社だけでなく、何とか協会とか、ママ友同志の婦人会とか、オンラインサロンなんかの上司と部下みたいな関係性が無いものまで含んでいます。
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そこで活動するというのは、組織がビルのような建物だとすると、建物内に居る自分の視点で「どのように貢献していこうかな?」という「動」のパフォーマンスです。
表情や声の大きさのような非言語で、「私、気合入ってます!」という、組織でも人前に出て「訓示」みたいな発表をする人が「とにかく動け!」「努力や苦労は当たり前」のようなことを言うこともありますし、「うちの組織は素晴らしい」「他の組織は良くない」と言っているところもあります。素晴らしい理念や指針を愛を持って発信している組織もあります。
そういった言語・非言語を浴びながら、建物の中に居る視点だけで毎日のように「動」のパフォーマンスだけをしていると、強力に組織の発することの影響を受けます。
建物の中にだけの視点ということは、抽象度が低いということになります。
極端な話、大企業で不正が常態化している事件の背景には、組織内に居る人たちが、建物の中の視点だけで組織の発する言語・非言語を浴び続け、抽象度が低い「動」のパフォーマンスをしているということです。不正が発覚しても「組織のためだと思ってやったことなので、悪いとは思っていない」と本気で思っている人もいるでしょう。
そこでよくある不正発覚の火種となる「内部告発」というのは、建物の中に居ながら「あれっ?」という違和感に意識が向いて、建物の外に出てそのビルを俯瞰的に見て判断した結果でしょう。
建物の外に出て、俯瞰的にそのビルを眺めるというのは抽象度が高いということになります。
「動」の対義語は「静」です。
俯瞰的に高い抽象度で見る「静」のパフォーマンスがいかに重要なのかがわかる例えだと思います。
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違和感というのは、建物の中の視点においては、表面化してさえも気づきにくい側面があります。
表面化というのは、「自分以外の短期的目線による「動」で自分が理不尽に納得がいかない思いをする」「自分の体調が悲鳴を上げて崩れる」「身近な人に悪い変化が訪れる」などですが、それでも「いや!自分が悪い!」と、さらに「動」のパフォーマンスに没頭する場合があります。
しかし、そういった違和感に気づき、建物を出て、高台にある街を見渡せる場所に行って眺めると、「うわ!自分が居たところはこんなになっちゃてるのか!」と認識できるようになるのです。
そうなると、建物内という現状が一気に居心地悪くなります。それと同時に「でも、現状に留まる方が〇〇な意味で安全なんじゃないか?」という、脳の機能として現状に留まる理由が驚くほど思い浮かびます。脳の機能ですので、ホント仕方ないことなのです。
そこで重要なのが、現状の外に設定したゴールになります。ゴールの状態でありたい!というwant toが、現状の外へ行こうとすることを回避する脳の機能を超えていきます。
そうなったら、賛同するところは賛同しつつも、組織と距離を置くという判断に繋がるでしょう。
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上記で、違和感の種を感じたら「静」のパフォーマンスと言ってるように感じたかもしれませんが、今日言いたいのは、違和感を感じるとか関係なく、毎日のように高台に行って抽象度高く眺める「静」のパフォーマンスを実施してほしいということです。
建物の外に出て、高台から眺めるという例えですが、「静」のパフォーマンスは、「情報空間」で実施することになるので、頭の中での自己対話です。
「静」のパフォーマンスによって、どのような「動」のパフォーマンスをしても良いのだというフラットな状態で、自分を抽象度高く眺めたうえで、自分の中にザワザワするような違和感はないか?など自己対話した結果、「自分はこうしたい」という「動」のパフォーマンスをするという、「want toの棚卸」をしないと、気づいたら盲目的な思い込みに侵食される可能性があります。
例として、組織を悪いように書きましたが、「静」のパフォーマンスの結果、「やっぱ今いる組織は俯瞰的に捉えても最高だぜー!」と思ったら、加速的に組織内で「動」のパフォーマンスに繋がるでしょう。
ちなみに私が前職在職中は、建物内で違和感に気づいてから高台に行って、現状の惨状に気づきました。
そしてコーチングに出会い邁進しておりますが、コーチとして生きながらも「静」のパフォーマンスの時間をとってザワザワしたら距離をとること継続しております。
このブログを読んで、盲目的に今いる組織で調子を崩しながら動き回っている人が、本当の生きたい人生に気づくきっかけになればいいなと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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