知らなかったセンスにフォーカスする重要性

意識に上がったら即計画、即行動

自由に、やりたいことで溢れる生活を目指している人は多いでしょう。

私もそんな生活しようとしているので、ド平日の一発目に「そーいえば、しばらく日本庭園美術館に行ってないな」と思い立ち、即決定、即行動しました。

昔、白金台らへんで会議が多かったので、会議前に立ち寄って散歩がてら歩いてから会議に向かうというのをよくやってたんですよね。

え?日本庭園美術館に行っている間のコインパーキング代は、経費で落としてませんよー!

日本庭園や茶室があって、西洋庭園や広い庭では、お子様と遊んでいる親子が目立ちます。

私はいつからか「日本庭園って、超センスいい!めっちゃカッコイイじゃん!」と思うようになって、私のセンスにビンビン訴えかけてくるようになり、だからこそ白金で会議やることになったときから、この場所の情報が目に飛び込んできたんですよね。

優雅な気持ちで日本庭園を堪能してるのに、都心の交通量も多めなところにあるので、けたたましくサイレンが鳴ったり、クラクションが鳴ったりすることがあるので冷めることもありますが、その時以外は季節の趣のままに楽しむことが出来ました。

梅の咲き始めを感じたり、写真も撮ったのですが、太陽の光が日本庭園の池に差し込む際の光の角度で写真の印象が全然違うなと気づいたり、そのまま景観を撮影するのもよいけど、茶室もフレームに入りながら、茶室の窓越しに広がる景観の方がグッとくるなとか、様々な気づきがあります。

特に今日は、「2月じゃないだろコレ!」ってくらいの暖かさだったので、庭園日和でした。

馬車馬のように常に数字を追うべきだ!と思って仕事をしてる方や、あれがうまくいかない、これもうまくいかないと捉えて生きている方は、「ホントにそうなのか?」という疑問の石を、心の泉にポーンと投げ入れてみて、その波紋が消える前に行ってみることをオススメします。

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私は、ミュージシャンの一面もあるので、音楽のように無形の芸術に関しては自分自身もセンスあると思ってますし、幅広く理解できるのですが、美術とか図工のような有形の芸術に関しては、自分自身マジでセンスないし、ドヘタというレベルで、理解できない芸術もよくあります。

「日本庭園美術館」というだけあって、敷地内に美術館があり、期間によって様々な「〇〇展」が開催されています。

前回行ったときは、なんか古い時代の綺麗な壺とか美しい花瓶とかが展示されていたのですが、隣で年配のご夫婦が「ほほう・・・」なんて「細部のディテイルまで理解してます」みたいなリアクションをしていたのですが、私は「むむぅ・・・」と真剣に見てるようで、「・・・さっぱりわからん!」と思いながら見ていた経験があります。

今回は「20世紀のポスター展」みたいなやつで、1920年代あたりから、1990年代あたりまでの、ヨーロッパやアメリカの様々な美的センスのあるポスターがズラリ展示されておりました。

果たして今回は理解できるだろうか?という面持ちで館内に入ると、いつもの「美術館ですから洗練された装いで静粛にしてくださいね」という雰囲気が我が身を包みます。

確かに古いポスターだということはわかります。人物の絵が描かれているポスターなんかだと、何となく白黒映像で見たことあるような昔の外国人ぽいので、はるか昔にデザインされたんだなというのを感じます。

でも、なんというか、英語とかヨーロッパの文字って、日本人から見たらやたらカッコよく感じるんですよね。

そう思ったことないですか?「針金 雅信」っていう表記より、「Masanobu Harigane」という表記の方が、珍しい苗字とか関係なく、英語の方がセンスあるように感じるんですよね。

だから、レトロなポスターでも、配色と図形と文字だけのやつだと、令和時代の裏原宿のアパレルショップの店舗デザインに使われてても全然遜色ないように感じますし、なんか原宿みたいなところで、こんな感じのデザイン見たことあるような気がしました。

なんか、日本の昔の日活のポスターみたいなのを見たことありますが、「古いとしか言いようがない!」というぜんぜんカッコイイ印象が無かったのですが、ヨーロッパなんかになってくると、どことなくカッコイイなんて思うんだなというのが非常に新鮮な体験でした。

撮影禁止だったので、視覚に訴えられないのが残念ですが、「20世紀のポスター」なんかで検索すれば、しばらくの間ほんの少し見れたりするでしょう。

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当然理解できないものもありますが、できる限り様々なセンスに触れて、その時の自分がどんな発見があるのか味わいたいと常々思っております。

特にcovid-19の影響で、芸術の分野が本領発揮できない状態であり、人々の芸術を嗜む余裕もなくなってきている可能性もありますので、自分の趣味のゴールであるとか、豊かさのゴールを再設定して、芸術に対する感覚を麻痺させないように、センスに触れる時間を創ることの重要度を上げてみてはいかがでしょうか?

普段の情報に対する認識が変化することでしょう。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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