
「どちらでも良い」から「自分はどうしたいか?」へ
ゴールを目指して進もうが、恐れを感じて別の方向に進もうが、どちらでも良い。
豊かに世界を眺めようが、怒りで気に入らない物事に文句を言おうが、どちらでも良い。
「オレって最高!」と思おうが、「どうせ、私なんて・・・」と思おうが、どちらでも良い。
相手に「いい人」と思われようが、「なんだよあいつ!」と思われようが、どちらでも良い。
リラックスして生きようが、心と体に負荷をかけて生きようが、どちらでも良い。
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「はっ?コーチなんだから、そんなんで相手を導けるの?」
「そんなこと言うようなコーチに、コーチングを依頼しようとは思えないわ」
そんな声が聞こえてきそうですが、まずはここから始まるのです。
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私の知り合いのミュージシャンと同じ日にライブしたミュージシャンは、「ミュージシャンとして食べていく」というゴールがあるから、有名でなくても、全国各地で毎日のようにライブをやったり、ライブのない日は、ストリートで歌って投げ銭とか手売りでCD販売して生活している人がいました。
僕の知り合いのミュージシャンは「ミュージシャンとして食べていく=楽曲が売れて収益を得る」という思い込みから、アルバイトしながら定期的にライブやったり、様々な配信やCD売ったりで、なんとか生活できないかな?と模索しながら生きる。
どちらも素晴らしい曲を歌っている。後者は前者の生活スタイルを見ても、「いや、オレには無理だ」と選択している。「自分はどうしたいか?」なので、どちらでも良いのだ。
どちらも、その時に自分が最良だと考えて選んだ選択。
「金持ち喧嘩せず」という、一般的に知られた言葉もあるが、豊かに過ごしている人もいれば、怒りに任せた匿名の発信を繰り返している人もいる。
「どちらでも良いと言っても、そんなのカッコ悪いことだし、器の小さい奴だ」
その通り、そんな言動を繰り返している人は、カッコ悪いし、器が小さい生き方をしている。
どちらも、その時に自分が最良だと考えて選んだ選択。
「ポジティブ思考がいいんですよ!」という情報が、多くの情報発信の中に見受けられるが、ついネガティブな思考をしてしまう人もいる。
「つい」という、選択したくないのに選択してしまうのもまた、自分の中の「不安である」などから身を守るために最良だと思った選択している。
だから、どちらも、その時に自分が最良だと考えて選んだ選択。
そんな私も、ある活動に誘われて、その時は「へー、これいいな」と思って、誘いに乗って加入してみたんだけど、いろいろトライしてみて「すごくいいと思うんだけど、なんか違うな」と考えるようになってきて、「でも誘ってくれた人は本当にいい人だし、誘われた内容も賛同できるけど・・・やりたくない」という気持ちになり、でも「加入を辞める」というのは、「自分が最低な奴だと思われるんじゃないか」とか「今まで自分のために動いてくれてた人達に悪い」という思いで、「辞める」の一言が言えない状態が続いていました。
自分の「こう思われたい」という気持ちが「言えない」という選択を最良にして、結果として「やりたくないのにやっている」という心と体に負荷をかけて生きることになりました。
その時に自分が最良だと考えて選んだ選択・・・
意識に上げると、ほら、ちゃんとその通りの結果になってることに気づくでしょ?
無理してやると、その通りにちゃんと心や体が「イヤだ!」って騒ぎ出すでしょ?
でも、そのまま続けていても、その中で楽しいことはあります。ここまでそうしてきたのだから、同じように選択すると今まで通り生きられる臨場感があります。
「こんな会社クソだ!」と、同僚たちと文句ばかり言ってるビジネスパーソンも、いやいや仕事をしてはいるけど、その中で楽しいこともあるだろうし、ここまでそうしてきたのだから、同じように選択すると今まで通り生きられる臨場感があるのです。
どちらを選択しても良い。ここから始まり、「ホントは自分はどうしたいのか?」にフォーカスします。
そうすると、「やらなければならない」と思い込んでる事や、「こうあるべき」と思い込んでるもので、自分のキャパシティがいっぱいになっているので、どうするか選択する余地が、その中からでしかできなくなっていることに気づけます。
そこに、「ホントはこうしたい」という選択が入り込むには、思い込んでた物事を捨てることで、スペースを作る必要があります。
これに気づいたので、私も様々な「なんとなく入会したもの」とか「人にいい人と思われなければいけない」とか「この発信をしたら恥ずかしいと思われないかな」とか「労働して立場による時間単価でお金を頂くものだ」などの、思い込みを勢いよく整理しました。
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この「どちらを選んでも良い」「それはその通りの結果になる」「自分はどうしたいのか?」「思い込みを捨てて選択する」が腑に落ちて数段抽象度が上がりました。
部屋の中がモノでいっぱいになっているのと同じです。
そのままにしていても部屋は部屋だけど、必要なものと不要なものに分けると、「買ったときはホントに必要だと思ってたんだけどなー」というモノが出てくるでしょうし、それらを感謝して処分すると部屋の中にスペースができるので、「これが欲しい」というモノを入れることが出来るようになります。
だからこれを繰り返すのです。日々「どちらを選択しても良い」というマインドから、「ホントは自分はどうしたい?」という、ゴール側からの視点で正直に選択する。繰り返すから、どんどんゴールを更新していきますし、更新する前は必要だと思っていたモノが、不要になっていることに気づけます。
私の空いたスペースにも何か入ってきそうな予兆がありますが、それはまた今度にします。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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