
苫米地式コーチング認定コーチ 針金 雅信です。
「格好」が与えるインパクト、あるいは説得力
【スーツで出社して、辛い仕事を乗り越えて成長するのが当たり前だと思っていた】
「not normal は褒め言葉」
苫米地博士に傾倒した方は、必ず聴いたことがあるだろう。
私も本当にそう思うし、長期的に見ると「not normal」は、これからの時代、更にはっきりと必要な要素として捉えられていくと考えています。
例えば、大企業の絶対感が非常に薄れてきて、本物の実力者には、「サラリーマン=スーツ着用でバリバリ働く」のロールモデルが、無意味になっている現実があります。
未だに30歳手前のビジネスパーソンに、「商談相手に30歳って言っとけ!」と、「商談の際、なめられないように」という理由で、年齢詐称を強要している、スーツ着用徹底企業もあるのではないか?と思います。
スーツは「以前から皆着用してるから」という受動的な選択か?
スーツは「それっぽく見える」という実力の低さを誤魔化すツールか?
確かに面と向かう相手が実力無かったり、固定観念パーティーレベルの方なら、誤魔化せそうなので、「あり」なのだが、短期的な視点止まりであることは忘れてはなりません。
実力はあるが、まだ無名の場合、まずは少しでも多くの人に話を聴いてもらいたい時に、あえて着用するのは、主体的な選択として「あり」とも思います。
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【 余 談 】
私が前職のマネージャー時代の仲間で、社内で一番の量販店という、最重要店舗のマネージャーに20代前半で着任するという、でかい企業としては圧倒的な実力のある人が居ました。
彼は現場に出なくとも、圧倒的なマネジメント能力でカリスマ的成果を上げていて、私はホントすごいなーと感心していました。
しかし東京都足立区の量販店の店長というのは、今は知らないが、一昔前だと下手したら精神やられるくらいの怒鳴られっぷりを秘めています。
常にロッカーにスーツを用意して、万が一の時は着用して対応しないと、「見た目」で「こんな若けぇ奴が店長だと!ふざけるな!」ばりの罵声を浴びるそうです。
まぁ「針さん、見てくださいよ」って言われて、量販店の防犯カメラの録画した映像見たら、スーツ着た彼が、お客様に胸ぐらつかまれてたけど・・・
私も足立区の違う店舗で店長やってたけど、足立区全ての人ではないことは、当然わかっておりますが、「威圧で押し通そうとしているんだろうけど、恐えぇ!」と叫びたい。
そういった暴力はふるっていなくても、治安が乱れて弱者を威圧するような状況がなくなる為に行動する意味でもコーチングは重要です。
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余談でしたが、「スーツを着る」「ルックスが良い」「中身は無いが口が達者」など、「格好が良い」と勘違いさせる要素であることは確かです。
着用するものや、自分の個性から主体的に選択して、マインドの使い方を上手に発揮できるエフィカシーを持ちましょう。
「not normal」な生き方は、「not formal」に限りなく近づいているのかもしれない。
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スーツに着目しすぎましたが、「考え方」「趣味趣向」など、内部表現の「not normal」が、クリエイティブな生き方に必要不可欠です。
ゴールを複数設定する際の「バランスホイール」において、ゴール項目とする「生涯学習」「趣味」「社会貢献」あたりの「not normal」っぷりが、その生き方を加速させると考えます。
「編集思考」っていう本を読んでる途中なんですが、編集に関わる方たちは、非常に「not normal」な生き方を体現していることが理解できます。趣味もハイセンス且つ多様を極めていると見て取れます。
今、受動的にブラックな会社で多くの時間を会社に捧げている方は、これからの時代必要な「not normal」に当てる時間を犠牲にしている訳ですので、短期的な給与より、はるかに多くの可能性を狭めているのです。
「仕事」というゴール(それも受動的な)に、ほとんどの時間を費やすことは、後の後悔というか、出遅れ感に打ちひしがれることになりますので、早く気づいて複数のゴールを設定して、設定した複数のゴール達成の為の今この瞬間を生きて欲しいです。
音楽ジャンルの固定イメージ

【憧れのあの人みたいになることが夢なんだと思っていた】
音楽には様々なジャンルがあって、それぞれが素晴らしい。
ジャンルごとのイメージは、先人のロールモデルにより、だいぶ固定化されています。
ビジュアル系では、女性ばりに化粧したミュージシャンがに歌うし、ジャズバラードであれば、小洒落たBARで洗練された音を奏でている。
ブリティッシュロックはマッシュルームヘアーで、ファンクはアフロの黒人で、レゲエはドレッドにガンジャ、ヒップホップはダボダボの服着て横向きの手の甲を差し出して「YO!」って言う。(一切どのジャンルも批判しておりません)
各ジャンルのレジェンド達は、上記のロールモデルを踏襲しながらも、なぜ語り継がれるほどのパフォーマンスを発揮したのだろうか?
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既にロールモデルが存在する分野のゴール設定で「○○のようになりたい」というのは、「○○のようになるなんて、今の自分にとってホントに凄いことだ!それこそ現状の外だ!」と考えてしまいそうだが、残念だが間違っています。
なぜなら○○は、見たことあるからハッキリイメージできるし、○○のサクセスストーリーだって調べればわかることです。
つまり、ゴールも達成方法もイメージも現状の時点で見出すことが可能ですので、「現状の中のゴール設定」になってしまうのです。
「ゴールが先、方法は後」ですので、もっと革新的な自分がビビってしまうゴールを設定して、まだ見ぬゴールのイメージと臨場感を深めながら行動することで、達成方法はクリエィティブに見えてきます。
確かにこのジャンルの音楽だが、こんなの見たことなくて、圧倒的にカッコイイ。だからレジェンドなんだということ。
例えば「アシッドジャズ」について、「あー!あったねーそんなジャンル」みたいな感じで、今聴いてる人、かなり少ないのだろうと思いますが、(私結構好きで聴いてますが)ジャミロクワイなんてアシッドジャズ聴いてる人も、知らない人も衝撃受けたもんね。
バッファロー的な帽子などのファッションに、個性的なダンス、あのころ信じられないようなOfficial Music Videoのクオリティ、当然、楽曲が圧倒的にカッコイイ。う~ん、まずJamiroquaiって名前がカッコいい。
過去のロールモデルに捕らわれすぎてない。着用するものや、自分の個性を主体的に選択して、圧倒的に良いと思っている自分の曲を、「自分のゴールから考えれば、今はこれだ!」というエフィカシーで届ける。
「やっぱり見た目も重要ですよ」
「たくさんある中で、どこにアピールするか?でですね」
「非常にクオリティな高い作品ですね」
コメンテーターが言いそうな事ですが、ハイクオリティな作品を、ブランディングして、マーケティングして、プロモーションして、多くの支持を得てレジェンドになるとして、過去のロールモデルの関連性は無くても良いということです。
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過去のロールモデルがなければ、万人が興味を持つというより、「概念」がない訳ですから創作しようがないです。
きっと誰かが昔、手を叩いたとか、棒を叩いてリズムにしたとか、ホラ貝吹いて音が出たとか、そういった「音楽」で天災が起こらないことを祈ったみたいな(全然詳しくないけど)ロールモデルが定着し始めた。
その定着したロールモデルにとらわれないマインドで「俺はこれを歌いたい(演奏したい)」という「want toの未来思考によるパフォーマンス」を体現する者が現れ続けて、ここまで発展していったのでしょう。
ブルースも黒人たちの「労働歌」として歌われていたが、自由というゴールのための「歌う」というパフォーマンスだったのではないか?心からのwant toである、「自由」という未来から時間が流れてきて、今は「歌う」というパフォーマンスをする、そして時間は過去に流れていく。
「過去は関係ない」「ゴールが先、方法は後」「設定したゴールから時間が流れてくる」が歴史的に見ても理解ができるのではないでしょうか?
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ちなみに、80年代に多いのですが Official Music Video が、今の感覚で捉えると「非常にダサい」というのがありますが、当然楽曲以外の様々な技術の発展途上状態によるアーティスト作品だということを前提においてください。。。
非言語の意識的体感

【意識高く授業や講座を受ければ(インプット)、それだけで実力が上がると思っていた】
「グルーヴ感がある」について
「エレキギター?不良のやることだろ!」みたいなおじさんに「グルーヴ?なんやそれ?見してみぃや」と言われても、
・楽譜に表すことができない
・ダンスを見せて「これ!この部分!」と示せない
・「だからー、休符を感じるんだよー、」という説明も苦しまぎれ
まさに非言語!
ジャズミュージシャンがアドリブで演奏して、まるでスポーツで息をのむ接戦のような「音」の高揚感を、特にライブなんかで臨場感高く感じていると、とても小洒落たBarで「ポローン」と奏でるロールモデルとは思えないゾクゾクする瞬間がある。
まさに非言語!
音楽でも、非言語は重要な要素であり、グルーヴの存在を体感するには、やはりアウトプットの賜物であると考えます。
当然グルーヴ感のあるミュージシャンが演奏しているはずですので、「聴く」というインプットだけでもグルーヴを感じることもできますが、
・ライブに行って、更に高い臨場感でグルーヴを感じる
・リズムをとってみたり、踊ってみたりしてグルーヴを感じる
・実際に演奏にチャレンジして、グルーヴ感のある演奏を体得する
上記による「体感」は非常にインパクトが強いはずです。
グルーヴは「意識する」というよりは、「体感する」ということですので、「これがグルーヴで、これがグルーヴじゃない」と考えながら聴いたり演奏したりしてると、リラックスできないので、本末転倒の結果になります。
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コーチングも、非言語が存在します。
見せてみてと言われても、苫米地博士の本を読んだだけでも感じられないでしょう。
やはり、コーチングを受けるというアウトプットの賜物です。
もちろん、「今コーチが言語で伝えている」「今のは非言語だ」などは、肩に力が入りますので、先ほどと一緒でリラックスしてコーチングを受けられなくなりますので、本末転倒です。
やはり、リラックスした状態の無意識に介入して効果的というわけです。
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例えば、日本人の「起業」に対しても、過去の「スーツ着てバリバリ働くというロールモデルが絶対」というのがまだ色濃く残っていて、起業して成功するロールモデルの少なさやプロモーション不足、受動的選択が当たり前と思える教育環境など、とても起業が盛んな国にはならないだろうという要素がたくさんある状況であることは間違いないです。
しかし歴史を振り返りましょう。
・過去のロールモデルは絶対ではない
・ゴールが先、方法は後
・want toの未来から創造する
その主体的な選択で、言語、非言語を活用して、「現時点でのロールモデル」として君臨して、発展してきた歴史があります。
海外行って、向こうから日本を見ると、いかに過去のロールモデルが必要ないかが、わかるようです。主体的視点の切り替えです。
起業が全てではないですが、受動的に過去のロールモデルに流されている人生に気づき、リセットして、リクリエイトする人が増えて、豊かになり、他に与える。
そのように、みんながハッピーになる世界のロールモデルを創りたいものです。
「過去のロールモデルを超越する3つの主体的選択」への1件のフィードバック